「失われた30年」と自民党政治の責任
紀陽銀行の窓口で呼び出しを待った。10番目だった。呼び出されて窓口に坐り、印鑑を提示すると、しばらく経って「お届け印ではない」という返事が返ってきた。記憶を探っても、「もう一つの印鑑」が思い当たらない。仕方がないので届け印を変更した。ぼくの記憶では、使っていた印鑑が欠けてしまったので、過去に届出印を変更した経緯がある。それが、いつも使っている印鑑ではないものが、届出印となっていた。
届出印を変更するのに時間がかかったので、会議に20分ほど遅れて参加した。
午後は、2時から訪問に行った。地域への軒並み訪問だったが、会う人ごとに楽しい会話になった。初めて会う人もいた。1歳にならない赤ちゃんを抱いたお母さんが2人。こんな小さい子どもを見るのは久しぶりだった。
物価高に困っている人が多い。「失われた30年」は、大企業の法人税減税を進め、消費税を引き上げてきた結果として生じている。消費が経済の中心に坐るということは、企業が生産した商品群が、国内で販売され、それが貨幣に転嫁されることを通じて、日本経済が動いていることを示している。しかし、この30年間、政府が一生懸命に進めてきたのは、税の取り方の変更だった。大企業の実質の税負担を軽減するために、法人税は1984年が43.3%、2018年が23.2%。34年間で20.1%も減税し、この税収不足を補うために消費税を導入して、税率を10%にまで引き上げた。この政策は、応能負担であるはずの税の基本を、間接税に移して、庶民増税を繰り返したことを意味する。さらに大企業には開発減税などの恩恵があり、法人税税負担が10%や8%というような大企業も多い。その結果、国内では長期に渡ってデフレが起こり、国内消費は冷え込んできた。
同時に2000年以降は、派遣労働を原則解禁し、製造業でも自由に派遣労働ができるようにした。若者の2人に1人、女性の2人に1人が非正規雇用となり、日本は先進国に例を見ない所得の上がらない国になった。失われた30年は、意図をもって進められてきた政策的な帰結だった。日本が先進国の中で唯一、経済が発展しない国になって久しい。国際的な比較の中でここまで日本経済が落ち込むと、日本全体の評価が下がってしまう。結局円とドルとの関係で日本社会を支えている円の価値が下がって円安となった。極端な円安になると、原材料やエネルギー、農産物を輸入に頼っている日本は、波が押し寄せるように物価高となった。これが今の現状だ。物価高の最大の原因は円安だろう。
デフレ脱却ではない。政治の帰結としての値崩れのあと起こっているのは、円の価値が下がったことによる悪性の物価高だ。賃金の上昇による景気の回復とそれに伴う物価高が今起こっている現象ではない。
こんな日本を生み出したのは、自民党がこういう政策を採用してきたからだ。「失われた30年」の責任は自民党にあると言われても、総理大臣は、「自民党には責任ないよ」というような顔をしている。自分たちは宴会ばかりし、国会答弁は官僚が書いたものを読み上げるだけということが多かったので自覚が薄い。しかし、歴代の政府が大企業を中心にした政策を採用し、国民には増税と社会保障の負担増を押しつけてきたのだから、責任が自民党的な政治にあることははっきりしている。
この中から出てくる一つの対策は消費税の5%減税だ。この30年間の歪んだ政策を正すためには、消費税の減税と大企業への負担増がどうしても必要になる。1世帯当たり12万円の減税。この減税を支える代替の財源は、大企業に対する優遇税制の廃止。これで11兆円の財源確保が可能になる。痛めつけてきた国民生活を守り、優遇してきた大企業に負担させる。この30年間、国民を苦しめてきた政治からの転換。これが日本を再生する道だ。
まずは暮らしと生活を守れ。自民党的な政治からの転換。これが急務だろう。



