笠田まつり、幕を下ろす

雑感

昨日、午後7時から笠田まつりの実行委員会が開かれて、昨年の「第23回笠田まつり」をもって、笠田まつりの歴史に幕を下ろすことが採決された。圧倒的多数の人の手が上がったが、ぼくは手を上げなかった。意見は言わなかった。ただ、寂しさが胸の中にあった。ぼくは新人議員だったころ、花の市という名称で辻三郎さんという議員や辻さんを支えていた人々が、夜店を一夜だけでも復活させたいという気持ちで、笠田東の広い方の駅前通りで開かれたことを出発とする。声を掛けていただいたので、ぼくはこのまつりの最初から関わらせていただいた。

このグループによる花の市は、4回ほど実施されたあと、自治区に引き継いでほしいという申し出となった。残されたお金も含めて当時の自治区が、花の市を引き継いで、笠田まつりとして再出発した。ぼくの議員歴が35年。この中で笠田まつりは、台風による中止などもあるので、25年以上続いて来たように思う。花の市の出発は30数年前、ぼくが議員になりたてで、まだ独身だった時代から始まったので、長い歴史を重ねてきたと思う。
しかし、地域の力によって支えられてきたまつりは、地域の力の衰えのなか、支える側の負担が限界を超えつつあった。
一番の要因は、地域の中にある各種団体の解散にあるのだと思う。集団の力がまつりを支えるためには必要だった。この力が失われてきたなか、実行委員会に結集している力が激減している。そのことが痛いほど分かるので、幕を引くことには意見を述べなかった。

もう一つの要因は気候変動にある。7月の最後の土曜日は、粉河まつりといつも重なっていたが、最初の頃は夏まつりで夕涼みという風情だった。夕方日が落ちてくると少し涼しい風も吹いて、夏のまつりを楽しむという感じが漂っていた。しかし、地球温暖化を肌身で感じるようになってからは、酷暑の中でまつりを維持することが、困難になってきた。
「もう、とてもじゃないけれど、暑すぎる」
こういう悲鳴が、誰からも上がるような状況になった。

議員は自治区長と一緒にまつりの寄附集めに汗をかくのが恒例だった。佐野自治区と真和自治区は仲が良かったので、一緒に寄附集めに回ったこともあった。1日の行動が終わったら、笑福亭でご苦労さん会もしていた。その当時は藤井昭雄議員もエネルギッシュだった。大人が子どもたちのために、夏の思い出を残してやりたいという気持ちで、一生懸命に、カーニバル形式の夏まつりを4カ月ほどかけて準備していた。多くの人々の笑顔に支えられた笠田まつりだった。
時代の変化の中で、変わるものがある。このまつりに関わっていた人々のことを思うと、笑顔が思い出される。記憶の中にあるのは、はじけるような笑いだ。舞台を支えていた人々は、最初の頃からほとんど変わっていない。実行委員会に関わり続けた個人もメンバーはほとんど変わっていない。変わったのは、年齢とともに櫛の歯が欠けるように参加できなくなったことだ。一生懸命にまつりを支えてきた人々にエールを送りたい。

残されたお金は、借りている倉庫や資材の処分などに充てられる。倉庫の返却もしなければならない。残された仕事は、財産の処分にあるという発言はさせていただいた。

笠田まつりには、幕が引かれたが、今後は公民館の事業としてまつりを考えたいという提案があり、それは公民館の運営委員会で決めてもらおうと言うことになった。会議が終わってから、少し新しいまつりも実行委員会形式を採用した方がいいという発言をさせてもらった。これは他の人もそう考えていたので、意見は一致した。規模は縮小されるが、何のためにまつりを行うのか、理念も明確にして新たなスタートを切ってほしいと思った。

雑感

Posted by 東芝 弘明