Mさんの通夜に

雑感

午前中は打ち合わせの会議。午後の会議は途中で抜けさせてもらって役場でヒアリングを行った。
夜はお通夜に参列した。昨日から道の角などに出されている告知看板を見るたびに悲しくなった。通夜は一般の参列を受け入れ、告別式は家族のみで行うというアナウンスもあったので、多くの人が参列しており、会場の外にも参列者が長い列をつくっていた。

「今日のお通夜では代表焼香の案内がありますので、前の席へお願いします」
こう言われたので、代表焼香の席に坐っていると、代表焼香のメンバーが集まってきた。
こういう形の通夜だったので、始まる前に喪主からの挨拶があった。葬儀の席で、自分の言葉で挨拶をした人は過去にも何人かいた。それぞれの人の挨拶は今もずっと心に残っている。悲しみに打ちひしがれ、波のように押し寄せてくる思いに心が大きく傾いているときに、参列した人に対し、自分の気持ちを真っ直ぐに伝える挨拶をすることに、心が深く動かされる。
「ぼくにはとてもできないな」とも思う。泣いてしまうからだ。涙をこらえ、その涙に飲み込まれずに言葉をつないで挨拶をする姿が胸に刻まれる。

忘れがたい葬儀がいくつも心に残っている。優しい言葉で妻の死を飾らずに語った挨拶もあった。今日と同じホールで、天井を見上げ涙をこらえ、絶句しながら、言葉を絞り出して挨拶した人もいた。
まだ、自宅で葬儀が行われていたとき、かつらぎ町内の葬儀屋が、ほとんど全ての葬儀を引き受けていた一時期があった。誰もが知っている司会者が、喪主に成り代わって、いつもと同じ口上を述べて、喪主の挨拶の代理を果たした後、残された人が両目を覆って、泣き崩れたシーンが妙に心に残ったこともあった。

今日の挨拶は、参列者のために病気になって以後の姿を言葉で伝えてくれるものだった。忘れがたい言葉になるなと思いながら話を聞いていると、目頭が熱くなった。

日が長くなった。代表焼香の一員としていち早く焼香をして、外に出る中で、何人もの同級生に会った。まだ日が落ちきっていない夕暮れの中で、それらの友だちの思いが参列者の中に漂っているような気がした。みんなの友人を思う優しさが、立ち姿の形をしていると思った。

ホールの部屋の一番後ろの奥に、家族と撮った彼女の写真が飾られていた。笑顔が似合う人だった。写真を見ていると、自分の胸の中に残っている彼女の笑った顔も浮かんできた。
絵が一枚飾られていた。優しさが溢れている絵だった。生きていたときの思いが形になった絵だ。部屋に飾ってほしいな。家族の宝物になるな。そんな気持ちになった。
安らかにお眠りください。


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雑感

Posted by 東芝 弘明