『ミステリーの書き方』
議会だより104号の印刷会社への入校日だった。役場に行くと印刷会社の担当者が、既に席に着いていた。予定の時間どおり打ち合わせが始まった。印刷会社の担当は、写真に対する思いの強い人で、いつも積極的な提案と指摘をする。
「この写真、斜めになっているのが惜しい。上の人が後ろにひっくり返りそうだ」
大きな写真に対して、こういうコメントが返ってきた。
「椀蓋の写真は、展示しているものいいですよ。そうすれば値打ちが上がる」
なるほどと思った。そういう写真に差し替えれば見違えるように変化する。
後1枚、軽トラックの写真が斜めになっているのでもったいないという指摘があった。指摘されるまでなかなか気が付かないのが素人っぽいところだ。
打ち合わせをしている第2委員会の部屋は、かつらぎ町の委員会室の中で最も使用されてきた部屋で、東側が一面大きな窓になっている。窓の大きさは縦180センチを超えているだろう。針金がダイヤモンドクロス状に内蔵された窓ガラスだ。入っているガラスも分厚いので窓も重い。アルミサッシではなく金属製の重たい窓ガラスは、ぼくが議員になる以前から使われ続けているものだ。議場の窓ガラスも同じような構造をしている。昭和年々に作られたものだろうか。もしガラスが割れたら同じものはないとも思われる。
今日は、印刷会社の方がこの窓ガラスを背に座り、ロの字型の机に向かい合って座ることとなった。104号から写真のキャプションが大きく変化し、写真と記事との関係もブラッシュアップできた。変化は研修の成果でもあったが、この成果が印刷会社にどう受け止められるのか、楽しみでもある。できあがりが楽しみになってきた。
集金に回り始めたのがお昼前だった。しかし、3時過ぎには役場を離脱して、岩出市に向かったので集金を途中で切り上げる必要があった。
岩出で会議をしていると、妻から電話があった。
「夕ご飯を食べてきて」
こういう連絡だったので、娘のアパートに立ち寄って、娘と2人、ご飯を食べに行くことにした。自宅に戻ると10時を回っていた。
『ミステリーの書き方』(日本推理作家協会編著)を読んでいる。極めて面白い。文庫本で685ページもある。小説らしきものを書き始めると、作家が書いていることの意味がよく分かるようになった。プロ作家が100人いたら100人の書き方があり、こうでなければならないというものはない。「プロット=あらすじのようなもの」を作るのかどうかという点で、作家の姿勢は大きく分かれる。いきいきとした作品を作りたいと思っている人の中には、プロットをほとんど作らない人もいる。それでいて計算され尽くしたような構造をもつ推理小説を生みだしている人もいれば、綿密な計算の上で、パズルのように作品を書いている人もいる。取材の仕方も千差万別だ。ようは自分なりのスタイルをどう構築していくかだろう。
小説のまがいのものを書き始めてみて思っているのは、条例の作成や一般質問の準備と作品を書くという行為はよく似ているということだ。条例の作成は、コンピューターによるプログラムの考え方に似ている。一文を変えると他の箇所の変更が求められる。条文は一つの有機的な体系を成す。このような考え方は、作品を構築する役に立ちそうだ。
もう一つは一般質問の準備だ。テーマを決め、質問の結論を明確にするところから、ぼくの質問準備は始まる。そこから時間の許す限り徹底的に調べはじめる。調べると新しいことが見えてきて、さまざまな驚きと発見に出会う。この驚きと発見を軸にして一般質問が組み立ってくる。ぼくの一般質問の場合、小説で言えばプロット、つまり質問のあらすじは一切考えない。書く前からそれは、漠然と出来上がっている。情報の収集と調査によって、発見と驚きがあり、それを軸に質問は出来上がる。質問において、資料を短く読み上げるようなことはするが、書いていることを引用して質問するようなことはしない。
こういうスタイルが出来上がっているので、小説を書く場合も同じ方法がいいだろうと思う。箇条書きのような程度のプロットは考える。しかしそれよりも書きたいシーンがいくつかある。このシーンにどうやってつなげていくかを具体的に考える。その際、調べることによってなにかを具体的に発見すると筆が進む。もちろんデータからの引用はしないし、知り得たことによるうんちくも展開しない。情報を文章の根底において、ほんの少し活用する。
例えば1978年に国鉄が和歌山線に採用していたディーゼル車の車体の色と赤いラインを把握したら、それをさりげなく描写して駅のホームに入ってきたシーンを書く。もちろん列車の型番などの情報は書かない。書いたのは、ぼくたちが乗っていた単車の型番だ。こっちはその当時、乗っている本人たちがこだわっていたからだ。そういうことを織り交ぜながら文章を書いていくと、楽しくなってくる。楽しんで書くという行為がなければ、小説らしきものは面白くならない。









ディスカッション
コメント一覧
コメントの連投、お許しください。ミステリーには本格、ハードボイルドと様々ありますけれど、基本的にトリックが重要ではないかと存じます。江戸川乱歩著、探偵小説の謎、現代教養文庫をお薦めしたいと思います。巻末の、類別トリック集成は乱歩の時代迄の世界中のミステリーの全トリックが、集められ、分類されています。稀有のミステリー研究書です。
ぼくは、そんなに推理小説を読んでこなかった人間です。作品を読んだことのない作家の、作品の書き方を読んで、なるほどと思っているのですが、それは作品自身のことを知らないので、底の浅いものだと自分では思っています。本格推理小説に「本格」という言葉が付いているのは、トリックと謎解きに特化したものだそうです。江戸川乱歩の『探偵小説の謎』、読んでみたいと思います。
この場合、人間描写は付け足しみたいになる傾向があるようです。
本格推理小説とミステリーの関係はミステリー>本格推理小説だと思います。戦後、社会派ミステリーというものが生まれ、推理小説の幅が広がり、謎解きはあるものの、社会的な問題をえぐるような作品も生まれました。そこからさらにジャンルは広がって、推理小説ではあるが、トリックには重きを置かないものも生まれました。
ハードボイルドとは何なのかよくは分かりませんが、劇画の「ゴルゴ13」はハードボイルドですよね。
作家の中には、ミステリーの手法を使いながらも、人間を描きたいという作家もいるようです。リアルな情景描写と人間を描こうと努力している一人は、宮部みゆきさんでした。ぼくと同じ1960年生まれで学年は一つ下のお方ですが、この人は、『ミステリーの書き方』では、十分なプロットを作らないで作品を書いていき、破綻してしまうことも多いのだと語っています。この方の作品で、この書き方で見事な構成力をもって世に出された作品は、かなり評価の高いと思います。これらの作品群は、深く印象に残るものが多いので、宮部さんの作品は結構読んできました。
作家は、才能で書いている人はほとんどなく(そう言いつつも才能はあると思いますが)、文章を書き続けることと、何を感じ取っているのかという感性とがかなり大事だと思います。多くの作家は、トリックを何となく思いつくと、それを長く温めつつ、それがトリックとして成立するかどうかを突き詰める努力をするようです。それの目処が立ってきたら、そのトリックを核にしながら作品を構成していくようですが、同時に「このシーンをどうしても書きたい」とか「エンディングのシーンをこう書きたい」という強い思いがあって、その情熱が作品を作る人が多いようです。トリックよりも先に描きたいシーンがあって、トリックを後から考える作家もいるようです。
何が何でも書きたいシーンがあって、作品を紡いでいくという感覚はよく分かります。それがなければ、力をもった作品は書けないようにも思います。
東芝さん、お疲れ様でごんす。
推理小説といえば、松本清張ですね。彼は推理小説の頂点にいる人物だと思います。ミステリーと推理小説の違いが俺なんかよく分からんのだが、彼の作品を読むとロジックの構成の巧さに舌を巻くんだけれども、それ以上に書かれた時代背景をバックボーンにして、読んだ人間に激しい感動を与えずにはおれない、凄い作品を書いておりますね。
東芝さんはどう思われますか?
森村誠一の「人間の証明」なんかも激しく感動しました。「証明3部作」は角川書店だったと思うんですが、中学生の時読んだのかなあ。やっぱ、俺なんか、社会派推理小説に強く惹かれる傾向があるような気がします。
森村誠一さんも、すごい作家ですよね。この人は緻密に作品を組み立てる方です。『人間の証明』の西条八十さんの詩が印象的に使われていましたね。
松本清張さんは好きです。小説だけではなくて現実の問題にも迫る作品、「日本の黒い霧」なども衝撃を受けながら読んでいました。『砂の器』はすごい作品だと思います。映画もオリジナリティがあって好きでした。