謙虚と傲慢
傲慢とは何かを考えて見よう。
人の話を聞くことのできる人は、謙虚になれる可能性はある。
他人からの指摘に対して、反発をしながらもどういうことか考えることのできる人は、謙虚になれる。
議論をしているとついつい反発したくなる。ついつい反発したくなるのは謙虚ではないかも知れない。
身構えている人は謙虚ではないかも知れない。
しかし、過剰な謙虚は傲慢だという指摘もある。

日本人はへりくだりすぎるところがある。「つまらないものですが、おひとつどうぞ」という物の渡し方が一般的。しかし、かつらぎ町の特産品のブドウ。自分の家で食べる場合は、安い物を買って、贈答品として送る場合は、一箱6000円とかの品物を送る。だいたい4つの房が入っているので、一房1500円というものになる。一房1000円はくだらない。送っている人間はつまらない物だとは思っていない。しかし、手渡すときは、「つまらない物ですが」と言ったりする。
小さい子どものピアノの発表会。
「○○ちゃん、上手ですね」
「いえいえ、○○ちゃんこそ、お上手でしたね」
こんな会話を交わしたことはないだろうか。そばで聴いていると、嫌な気持ちになったりする。お互いに「へりくだりあい」の競争のようだ。
議会の議員による指摘。ぼくは歯に衣着せないことが多い。これがいけないのかどうか。いいことはいい、悪いことは悪いでいいと思っている。このバランスの中に「いい塩梅」があるのかも知れない。
謙虚と傲慢の関係は、もしかしたら対立物の統一の関係にあるのかも知れないと一瞬思ったがそうではなさそうだ。傲慢すぎれば謙虚になることはないかも。謙虚は傲慢と紙一重かも知れないが、傲慢は謙虚と紙一重ではないだろう。
とにかく、他人からの指摘は、反発したとしても、保留して心に留め置き、それを考え続けることが大事だと思う。最近言われたことで気になったのが「東芝君は天狗になっているのではないか」という言葉だった。はてさて、実際はどうなんだろうか。



