学びの道と哲学と

雑感

朝10時、プラザホープで防災士になるための最終研修会。講義が終わってから50分、防災士の資格試験が行われた。合格していればいいんだけれど。早く出した人がいた。ぼくは、じっくり問題を読んでマークシートを塗りつぶし、答えを出してからもう一度見直した。これで合格しなかったら、来年もう一度挑戦しようと思った。

内容の濃い講義と、内容のうすい講義がある。今日の講義の中で1人はそうだった。90分、時間が与えられたら、難しく込み入った問題を分かりやすくひもといて見るのがいい。発見がある講義を受けたい。目からうろこが落ちるような話に出会いたい。

大学1年生の時のマルクスの経済原論にぼくは夢中になった。人間、集中して講義を聴くと、そのときの話の内容まで覚えているものだ。1年間、資本論の拡大再生産のところまでの講義だったが、じっくり毎週90分、資本論の話を丁寧に聞くことができたのは、今から考えても幸せなことだったと思う。

ぼくは夢中になって講義を聴き、帰りの車の中で興奮してその日学んだことを友人に語っていた。それほどマルクスが資本論を通じて解明したことはすごかった。

実は、マルクスの資本論を自分で通読しきったことがない。ぼくは大学1年生のときに、資本論に触れたことを契機に、資本論を理解しようと思えば、弁証法と唯物論を深く学ぶ必要があると思い至って、哲学に取り組んだ。こちらの方は、全部独学だった。自分の解釈を重ねながら、弁証法と唯物論を学ぶ中で、この2つの論理の成り立ちを捉えるようになった。

少しだけ、自分の認識をここに書いておこう。

弁証法は、唯物論と出会って初めて、自己の持つ神秘性を剥ぎ取って科学になった。弁証法的な表現の仕方には、ともすれば神秘性が付きまとう。例えば普遍と特殊。特殊的なものは普遍的なものを通じてしか存在しない。普遍的なものを通じて特殊的なものは現れる。というように。弁証法のことを知らないと、こういう言説は言葉の遊びのようにも見えてしまう。

だからこそ、弁証法は詭弁と紙一重だった。神秘的なヴェールを纏っていたと言ってもいい。この神秘的な弁証法が唯物論とであったことによって、物質的なつまり人間の意識の外にある客観的な世界そのものが、弁証法的に成り立っていることが明らかになった。弁証法は、唯物論と出会ってはじめて科学になったと言っていいだろう。それほど、弁証法と唯物論の出会いは劇的だった。

さらに、これも書いておこう。弁証法的なものの見方を確立する上で、決定的役割を果たしたのは、史的唯物論だった。言い方を変えれば、史的唯物論の確立なしに弁証法は豊かな成立を見なかった。人間の歴史を研究していく中で、人間の歴史には発展の法則があり、唯物論と弁証法は、人間の歴史を研究していく中で不動なものとして確立を見たという側面があるということだ。

史的唯物論の定式というものをマルクスは明らかにしているが、それは一般的なものであって、この定式にもとづいて実際の社会を解釈するのが史的唯物論ではないということだ。もしそういうようなことをして、世の中を分析すると、それは史的唯物論ではなくなってしまう。

社会を動かしているのは経済だし、この経済的な人間の活動が、社会の根底にはあるが、人間は経済を基礎におきながら、その上に立ってさまざまな社会体制を構築する。人間の歴史の中で個人が一時的に果たす役割も大きい。ときにはヒットラーのように、巨大な力を発揮する一時期が現れたりする。史的唯物論は、こういう個人の役割も含めて、人間の歴史の動きを具体的にリアルに把握する。日本共産党の中央委員会の決定は、一言で言えば、史的唯物論の言葉で書かれている。史的唯物論のリアルな適用の姿は、日本で言えば、日本共産党中央委員会の決定にも表れている。こういうことがいえるだろう。

唯物論に基礎をおく弁証法は、科学の発展の歴史が教えているように普段に発展し続けている。自然科学の分野は、弁証法という考え方なしには、もはや把握できないところまで来ている。逆に、自然科学をさらに発展させたい人々は、目の前で展開しているさまざまな化学的な変化と法則を、弁証法という視点で捉えることが求められる。自然科学の最先端は、素人から見れば、魔法のような現象の宝庫でもある。唯物論と弁証法は、今も時代の最先端にいて、科学の発展を支えている。

とまあ、こういう認識にぼくは立っている。18歳で資本論に出会い、感銘を受け資本論を学びたいと思って哲学に取り組んでいたが、30歳からは現実の地方政治という世界で、議員の活動をするようになった。哲学を学んでから経済学を学ぼうというぼくの夢は、停止したままで65歳になった。資本論への挑戦が、ぼくの学問の入り口のテーマだった。ここに立ち戻らないといけない。残された時間はそんなに長くない。

雑感

Posted by 東芝 弘明