「世界がもし100人の村だったら5」を見た
「世界がもし100人の村だったら5」を見た。
フィリピンのごみの山で住む女の子の話があった。
見ながらフィリピンには、生活保護の制度がないのではと感じた。
お父さんが殺され、お母さんが病に倒れると10歳代の女の子には、ごみ山でしか働くことしか、生きるすべが残されていなかった。
児童の保護、生活保護、医療保護、こういう制度がないとこんな現実がすぐに目の前に出現する。
フィリピンは、住宅だけは提供するようになっていた。しかし、この住宅も家賃を払う必要があった。
日本は今、生活保護の支給の枠をより一層制限し、支給の切り下げも実行に移しはじめている。
医療費はばか高くなった。
世界の過酷な現実を対岸の火のように眺められなくなりつつある現実が、日本でも進行している。
豊かな国の貧困も、かなり深刻な様相を呈しはじめている。
介護保険は、能力に応じた負担からサービスに応じた負担へとかじを切った制度になった。負担力がなければサービスは受けられない。医療も同じ考え方で制度改革が図られてきた。
ワーキングプアという現実は、小さな船の下にある広大な海のことであって、誰もが転落しうる可能性をはらむものである。板子一枚海の上。政治の制度が新自由主義によってつくりかえられている中で、社会の安全装置が崩壊しつつあることを、まだ多くの人は気づいていない。
新自由主義にあるものは、「競争」、ないものは「ヒューマニズム」。
アメリカを模倣している日本は、アメリカを理想の国のように描いているが、福祉や社会保障を敵視して、人間の幸福の条件は整わない。アメリカをモデルに考えるのであれば、アメリカの貧困を直視して、学ぶべきではなかろうか。
政治は人間の幸福の条件をつくっている。幸福を追求すると政治に行き着く。政治を変えなければ、人間の幸福の条件は広がらない。政治を変える力は、国民の1票1票にしかない。しかし、日本国民はまだ、大きく政治を変えた経験を持っていない。
姜尚中さんから学ばせていただいた考え方だ。
参議院選挙が迫っている。








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