東日本大震災ボランティア3
港の近くの工場地帯の被害も大きかった。大船渡では、高級食材のアワビやウニを貯蔵していた冷蔵庫が津波にやられ、電源が失われたことによって大量に腐ってしまった。海洋投棄処理も行われたが、18000トンが地中に埋められた。夏、強烈な匂いとともにものすごく大量のハエが発生して市民を苦しめたという。
写真は、津波によって破壊された工場の一つ。この工場の向かい側に大きな冷蔵貯蔵庫の倉庫があった。

この材木が大量に津波で流されて家屋を破壊した。流出した材木は、ふたたび寄せ集められてここに戻された。

倒壊した鉄塔もあったようだが、この鉄塔はどう見ても曲がっているように見える。

陸前高田の中心街に移動して破壊された状況を視察した。陸前高田は、湾に面して広い平地が広がっており、ここに公共施設や商業施設が集まっていた。市役所や消防暑、農協、郵便局、千昌夫さんのホテル、デパート、体育館、博物館、一番にぎやかだった商店街、住宅街等々が大規模に破壊されてしまった。
写真は、破壊された消防署だ。

津波で破壊された車。何の車種だったのか、原形を留めていない。

車にはナンバーがそのまま着いているものもたくさんある。持ち主は自分の車がどこに流されたのか分からない人も多いという。押し寄せた津波と引いた津波が車を転がしてグチャグチャにしたのが見て取れる。

下の写真は、陸前高田の市民体育館の中だ。ここにも大量の瓦礫が流れ込んでいる。体育館は避難所に指定されていたので、多くの人々がここに逃げ込んで津波に襲われて命を失った。

時計が3時30分で止まっている。津波に襲われた時間を示しているという。

体育館の入口(?)付近。上から体育館の骨材が垂れ下がっていた。

陸前高田の港の近くの道路から撮った写真。手前にいるのが紀の川市の岡田勉市議。撤去が進み何もない状態が進んでいる。

陸前高田の中心市街地の写真をもう一枚。立っているのは大船渡市の田中英二市議。解体作業中のパワーショベルが見える。

中心市街地にあったスーパーのマイヤー陸前高田店。ここでも多くの人が亡くなった。

同じスーパーのエスカレーター部分。この建物の非常階段の所で陸前高田の日本共産党市議団長、及川一郎さんが、4月25日、遺体で発見された。避難誘導の活動を行っていて津波にのみ込まれたのだという。市職員の3分の1が亡くなり、教育委員会の建物にいた職員のほとんどが亡くなったという。陸前高田で死亡した方々は1700人を超えている。

少し引いて撮った写真。田中市議が立っているので、建物の大きさがよくわかる。

この建物が陸前高田の市役所。職員は屋上に逃げて一夜を過ごし、ヘリコプターで救出されたのだという。この中に戸羽太市長もいた。

今日で写真の紹介を終わる。阪神淡路大震災の時は直下型地震だったので、日本家屋の屋根瓦が砕けたり落ちたりするとともに、家屋の倒壊が非常に目立った。地震の後の大規模な火災も頻繁に起こった。亡くなった多くの人々は、建物などの下敷きになって圧死した。今回の東日本大震災は、横揺れの地震だったようで地震による家屋の倒壊は、かなり少なかったように感じた。建物を破壊したのは巨大な津波だった。同じ地震であっても、揺れ方は全く違うと感じた。
自分の住むかつらぎ町で東南海・南海地震が起こったらどんなことが起こるのだろうか。地震の規模と地震の質をある程度予想して(もちろん想定する被害という考え方にしばられるのは大きな間違いだろう)、対策を考える必要がある。東南海・南海地震も海の底が震源地になり、大きな津波が発生する。津波対策は極めて重要になるが、わがかつらぎ町では、山崩れやそれにともなうダム湖の発生なども心配される。
東日本大震災が、人々の暮らしをどう破壊したのか。明日は、2日間行った被災者への訪問、対話の内容を紹介したい。












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すごいですね。縦書きになっています。「は」が一行ずれているので、若干、失敗っぽいですが。ご苦労さまでした。