似通っている点と相違点について
日本の戦前のファシズムと、ドイツにおけるヒットラーに見られる状況と、現在の日本の状況の似ている点と違いについてOさんから質問を受けた。
文献を調べながら答えようと思っていたが、議会への対応が必要になってきたので、調べるのはしばらく保留にして、まずは、文献にもとづかない印象だけを書きたい。
FaceBookへの回答ではなくブログに書こうと考えたのは、こちらの方が文章を打ちやすいのと、かなり文章が長くなることが予想されるからだ。
FaceBookには、この記事をシェアするのでご理解いただきたい。
戦前の国家体制は、江戸時代から明治に移行するときに倒幕側に立った武士階級が明治天皇を担ぎ出して明治の体制を作ったので、どうしても封建的なものを色濃く残すことにしかならなかった。明治維新がブルジョアジーによるブルジョア民主主義革命にならなかったのは、ブルジョアジーが政治勢力として大きく育っていなかったからだと思われる。
明治以降の日本資本主義は、絶対主義的天皇制という半封建的な色彩を色濃く残した社会勢力である地主と急速に成長してきた資本家階級の利益を代弁しながらこの2つの勢力の頂点に立った絶対的な権力をもった天皇制という支配の仕組みのもとで発展した。圧倒的多数の国民は農民だった。
明治憲法下の国民には、基本的人権が認められず、自由は法律の定める範囲でしか保障されなかった。主権は天皇にあるとされ、天皇制に反対することも、主権在民をとなえることも許されず、国民を弾圧する法律として治安維持法が確立した。
こういう社会体制の下で日本は急速に資本主義の列強の仲間入りをしたが、狭い国内市場という制限がつきまとった中で、かなり早い段階から侵略的な政策をとって、朝鮮や中国へ進出していった。戦争への道を進む中で、国内では国民を統制する体制を強めていき、太平洋戦争に至る過程の中で国家総動員法など、国民の自由な意思を押さえ込みながら侵略戦争拡大の道を突き進んだ。
戦前の日本におけるファシズムは、全体主義的な国家だった日本が、資本主義の台頭とともに海外に市場や販路を求めつつ、侵略戦争に打って出るなかで形成されたものだと思われる。
ドイツの場合は、戦前の日本とはかなり事情が違う。ワイマール憲法という民主的な憲法体制が確立する歴史は、フランス革命の影響から説き起こす必要があるだろう。ドイツの資本主義は、長い人民との闘いのよってかなり民主的な社会制度の確立した状況にあった。日本の資本主義が、日本共産党の存在を認めず非合法の政党としてしか出発できなかったことと比べ、ドイツは、国会でもヒットラーの率いるナチ党と議席を争うほどの力をもっていた。
この社会体制が、なぜヒットラーによる独裁政治を受け入れていったのか。ここに大事な注目点があると思われる。日本の現在の状況は、ヒットラーによる支配によってドイツがどう変貌したのかを比較研究することの重要性が高まっているように見える。
ヒットラーの率いるナチ党は、宣伝と謀略的手法を用いるような政党だった。しかし、国民の支持を得る過程の中では、国民の失業率をアウトバーンなどの建設をおこなったり、少子化克服のために手だてを講じたりした。ナチスの主張を国民に浸透させるために、国民の願いに積極的に応えるという手法をとったということだ。第1次世界大戦に敗北したことによって巨額の債務返済が求められていた。宣伝の方法にもよく考え抜かれた方法を採用した。
圧倒的な国民の支持を得る中で、ヒットラーは自分の手中に権力を集中させ、自らを総統と名乗るようになった。
橋下徹さんをみると、ドイツでヒットラーが行ったような積極的な施策はほとんど見られない。具体化しつつあるのは、新自由主義的な施策が多い。現在、国民が勝ち取ってきた働き方の問題や社会保障の諸制度は大きく傷つけられている。この流れに橋下さんの施策がある。劇場型である橋下さんは、マスコミの使い方を極めて重視しているが、ヒットラーは、宣伝の仕方を作り上げつつ国民の支持を得てきた。ヒットラーは宣伝という点では、極めて大きな仕掛けを持っていた。ここに大きな違いがある。
10年間近く行われてきた新自由主義的な路線は、体制の側の儲けが上がらない深刻な危機を反動的な方法で乗り切ろうとしているものだ。具体化される施策は、負担増と制度の破壊だ。台頭してきているファシズムは、この新自由主義的な、極めて反動的な動きの中から生まれてきたといっていいと思う。公務員を徹底的に攻撃しながら、国民の支持を得て、新自由主義的な政策を展開するという方法は、国民との矛盾を激化させる。
ドイツでは、なぜ国民がヒットラーの本質を見抜けなかったのかという根本的な反省が起こったが、日本の現在の状況は、反動的な施策をとらざるを得ないという点では、ドイツよりも事の本質を見抜きやすい状況にあると思われる。
ただ、ドイツとの決定的な違いの一つは、日本の資本主義は、非常に巨大なマスメディアを育ててきたということだ。日本のマスメディアそのものが巨大な産業であるとともに、スポンサーも巨大な企業になっている。このような状況のもと、1980年代の初めの臨調行革路線の頃からマスメディアが、体制側に取り込まれて自ら右傾化する流れをたどってきた。戦後、すべてのマスコミが体制に迎合し戦争に荷担したことを反省したはずなのに、読売新聞が憲法改正の私案を発表するなどして、大きく変質していった。朝日新聞は右翼テロを受けて襲撃された事件を一つの契機にして、大きく変質していった。
アメリカは、新自由主義の台頭の下、時期は忘れたがマスメディアが大手の資本にすべて買収されるという事態が発生し、政府の方針を盛んに主張する様に変質した。イラク戦争がおこるときに、イラク戦争の必要性を盛んにあおったのは、マスメディアだった。
しかし、日本のマスメディアも同じような状態にある。イラク戦争について、本国のアメリカやイギリスでは、あの戦争が正しかったのかどうかという議論が盛んに起こったが、日本の新聞各社は、自分たちが行った戦局報道や戦争への礼賛(読売新聞が露骨だった)に対して、全く反省しなかった。日本では、多くの国民は、イラク戦争がアメリカとイギリスなどによる侵略戦争だったという見方をしていない。首相が戦争は正しかったとうそぶいても、それをマスコミはほとんど追及しない。
新自由主義の路線を支え、橋下徹さんを美化し擁護する先頭にマスメディアが立つという異常な状況に日本は置かれている。
マスメディアが描いた方向に世論が動く。日本でファシズムが台頭してくるような危険な状況を支えているのは、マスメディアだという側面が強い。ヒットラーは自ら宣伝の仕方を工夫し、映画の力を駆使して自分の姿を美化して描いたが、日本のマスメディアは、公平さを装いながら真実を伝えないという点で、極めて巧妙に組織されている。マスメディアの役割は、ドイツのヒットラーの時代との大きな差異になっている。
日本の中で最も大きな力をもち、日本の経済と政治に決定的な支配的力をもっている勢力は、アメリカと日本の財界だろう。ファシズムは、こういう政治と経済を決定的に支配している勢力と大局的には利益を共有し、この支配の枠組みの中で、自らの権力の確立を行っていく。ドイツにおけるヒットラーも、権力に近づいた時点で資本家階級からの献金を受け取り、その利益の代弁者として動いた。ドイツの企業の中にはヒットラーを支えた会社が数多くあり、これらの企業は、戦後ヒットラー政権に荷担した責任を明確にし反省を続けている。ドイツの場合は、こういう歴史的経過をたどった。
日本の支配勢力が、支配の延命のためにファシズムの勢力と結託する可能性はあると思われる。前にも書いたが、資本主義=自由、民主主義ではないので、支配する勢力の維持のために利益が一致すれば、支配勢力はファシズムを受け入れる可能性がある。
日本の資本主義は、あの第2次世界大戦のときに天皇制政府がおこなった侵略戦争に対して根本的な反省がない。戦後、政治的権力を握った勢力が、戦前と同じ勢力だったことに日本の政治の後進性と反動制があった。この後進性と反動制は、新自由主義と結合し、戦前の支配体制への郷愁と復古主義を同時に合わせ持っている。小泉さんによる構造改革以降、日本の支配勢力は、橋下徹さんのようなファシズムの流れを受け入れる土壌を育ててきたともいえるのではないだろうか。
劇場型のファシズムは、新自由主義的な傾向を色濃く持ったものであり、その手法は、改革と称して徹底的に社会保障や労働法制を破壊するものになっている。それをカモフラージュしているのは、日本の巨大なマスメディアだろう。アメリカと日本の独占資本を中心とした勢力が、このファシズムに対してどういう態度をとっていくのか、この点を注視する必要が生じてきている。
現時点では、橋下徹さんのような勢力は、まだまだ小さい地域的な動きにとどまっている。国政に打って出るということを表明しているので、今後このような動きに対し、他の政党がどのような態度をとるのか、支配勢力がどういう態度をとるのか、ということを見極めていくことが大事になる。
国民の側は、こういう危険な動きに対し、ファシズムを許さないという戦線を組み、保守勢力の方々とも力を合わせて、台頭するのを阻止することが大事な闘いの一つになるのではないだろうか。
今日書いたことは、自分なりの印象に過ぎない。厳密に吟味したものではないし、分権や書物を読んで深めたものではない。これは、自分流の印象的なスケッチに過ぎない。しかし、現時点ではこういう違いを感じている。
このテーマは非常に興味深く面白いものなので、時間をかけてじっくり取り組みたい。










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