波長が合う人
兄貴と兄貴の友人が、若い頃、男と女の間には友情が成立するかという話を盛んにしていたことがある。
この話の結論が、どういうものだったかは分からない。話しあいは続いていたが、答えは出なかったということかも知れない。
算数的にいえば、好みの女性と好みでない女性があるから、知り合いのすべての女性に対して恋愛感情を抱くことはない。とくに心底、好きな異性がいて、恋いこがれているような状況の下では、他の女性のことは視野に入ってこない。そういう点からいえば、男女間に当然のこととして友情は成立する。
人間の気持ちは、大きく揺れ動くものだから、失恋したあと、友人だった異性に対して恋愛感情を抱くようになることもある。
脳科学の立場からいえば、脳が意識より先に反応することによって、感情が芽生えるということだから、何らかのきっかけで、どきっとする瞬間がおこれば、「あれっ」という感じで、今まで気になっていなかった相手が、好きになっていくこともあるだろう。
人間の行動学(?:このジャンルなのかどうか分からないが)的にいえば、もし友情が成立せず、恋愛感情ばかりになると、社会は、当然のごとく一夫多妻制になってしまい、婚姻関係は非常に複雑になる。
そのような社会になっていないところをみると、男女間に友情は、かなり幅広く存在しているということになる。
男女間の友情の話を書いていると「ウマが合う」という言葉が頭に浮かんできた。
「ウマが合う」というのは、波長が合うということのような気がする。
中には、どんなに努力しても、波長が合わない人がいる。波長が合わない人といっしょに行動すると、どうもちぐはぐになってうまく行かない。
波長が合う感じの人との関係を思い返すと、それらの人々が、自分と同じ感覚の持ち主だとは限らない。自分にない側面をたくさん持っているのに、気があって、一緒にいると妙に楽しいという感じなのだ。同性の場合、そういう人間に出会ったら、それは生涯の友となる。
波長が合う人とは、話をしていると、会話がものすごく弾んで、笑いが重なっていくような、そんな人間関係が出来上がる。
どうして、そんなにも波長が合うのか。これはよく分からない。不思議な感覚だ。
しかも、波長の合う人は結構いる。
いい格好をせず、見得を切らず、意地を張らず、意固地にならず、自然体で素直に自分を見せるような生き方をしていれば、波長の合う人間はたくさん見つかる。そんな感じがする。
議会議員という肩書きは、ビジネス上役に立つことは多い。全国のさまざまな自治体に電話を入れ、聞き取り調査をするとき、
「和歌山県かつらぎ町の町議会議員の東芝です」
こういうと、東京であれ、大阪であれ、北海道であれ、自治体の職員の方々は、実にていねいに、施策や取り組みについて教えてくれる。ただし、取材で深いやり取りをおこなうためには、調査の対象についてできるだけ深い問題意識とその分野についての知識を持っておくことが大切だ。深い問いが、深い豊かな答えを引き出していく。
会話が弾めば、相手も話に乗ってくる。いかにして、質問を重ねながら会話を弾ませていくか。これが取材の醍醐味でもある。
しかし、普段は、肩書きなんていらない。出会った相手に対してどれだけ素直に心を開いて接することができるのか。相手との間で必要なのは、素直な心なのだと思う。
この場合も、当然、深い問いかけや豊かな視点をもっていないと会話は弾まない。充実した会話を、素直に交わすことができれば、出会いは新鮮なものになる。
ここまで書くと、まったく違うことが頭に浮かんできた。
「県庁の星」という小説を読んでいると(実は読み終わった。映画の方が変化が鮮明に描かれている。でも小説にも味わいがある。)、短歌について、人間の心は1つではない、いろいろな気持ちが何重にも重なっている、この何重にも重なっている気持ちを短歌で表現できるようになると作品に深みが出てくる。という話があった。
この話に出会えたことは、かなりいい収穫だった。
本。それは、作者の意図とは違うところで、人にさまざまな感銘を与えるもの。
たった1つの小説のフレーズが、新しい哲学的な発見につながることもある。
話を戻そう。人間の気持ちは、単純ではない。
たとえば、
「あんたなんか嫌い」
この言葉には、かなりさまざまな気持ちが重なっていたりする。
こどもが親に向かって言う
「お父さんなんか嫌い」
という言葉にもいろんな思いが重なっている。
人間の言葉にはいろいろな気持ちが、複雑に重なっている。このことを考えてみるのは、かなり有意義なことだと思う。
もしかしたら、波長が合うというのは、そういうさまざまな人間の心の重なりやひだが、重なり合い結びあうことなのかも知れない。
男女を問わず、波長が合う人をたくさん増やしたい。
友情も中身豊かに。
(ばらばらな話がここでまとまった感じになった。めでたし、めでたし。)
出会いには、変化もあればドラマもある。
そうすれば、人生は楽しい。