梶原一騎という人の時代とマンガ

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中学、高校の時代を少年ジャンプと少年マガジン、少年サンデー、少年チャンピオンで育った世代(毎週、この4冊の少年マンガ週刊誌」を買っていたのだ)からすれば、自分の精神構造がマンガによって作り上げられてきたことを否定できない。
大学に入って、喫茶店に自由に出入りできるようになってから、マンガは喫茶店で読むように変化した。自分で買うより、コーヒー代を払って4冊の少年マンガを読んだ方が安上がりだったという経済的な事情もあった。
もちろん、ぼくは、大学生になるほんの少し前から、マルクス経済学と哲学などに深い感銘を受けるとともに、さまざまな小説や論文によって、マンガ文化にはない深く幅の広い精神世界に触れて、人間を根本的に作ってきた感はある。しかし、このような自己形成が、漫画的な世界を駆逐したわけではない。
異常なほど、超能力やタイムマシン物、スペースオペラ物などに惹かれるのは、中学校時代に読みあさっていたSF小説にその原因がある。SFへに対する基礎は、手塚治虫の「火の鳥」に出会ったときに火の鳥主義のような反応をぼくにおよぼした。マンガとSFは、ぼくの精神構造の骨格の屋台骨になっている。
そういうわけで、49歳になっても「あしたのジョー」に夢中になるような部分があるのだ。
ただし、最近、アニメーションの見方が、「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」で鍛えられてきたので、他の人とは違う見方ができるようになった。
ルパン三世は、30分のために6000枚絵が描かれていたので、ルパンは作品の中で滑らかに動いていたのだ。「あしたのジョー2」の方は、やたらめったらfreeze-frame(日本語でいうストップモーション)が多い。GyaOの書き込みを読んでいるとこのfreeze-frameが効果的だと書いている人がいたが、これは単にアニメーションの枚数稼ぎにしか過ぎない。ボクシングの試合のシーンで殴られた瞬間を克明に描くのは、かなりの重労働になる。パンチが入ったシーンをfreeze-frameで描くと複雑な動きを書かなくてすむ。
毎週4回分の話が無料配信されているので、4回分の話を見ているが、途中から映像がものすごく下手になった。ジョーの動きが、まるでたこ入道のようなへんてこな動きになったときには、「もう見るのを止めようか」と本気で考えた。「はじめの一歩」の方がアニメーションとしては数段上だと書いていた人がいたので、「はじめの一歩」を見てみたが、それはそのとおりだと思った。
「巨人の星」や「あしたのジョー」の世界を支えていたのは、原作者の梶原一騎だった。ぼくたちは子どもの頃、梶原一樹ワールドに魅了されていたのだ。梶原一騎の描く世界には、その当時の日本の社会の姿が反映していた。
星一徹は、「巨人の星」の中で頻繁にちゃぶ台返しをおこなっていたような記憶がある。1960年代、ぼくの父親も星一徹のいような人間だった。酒を飲んでは、茶碗を投げつけていたので、星一徹を見ると自分の父親とだぶってくる。星一徹のような暴力親父はたくさんいた。1960年代は、そういう荒々しい時代だった。
梶原一騎の世界は、非常に極端な論理を構築して話を展開していくところに特徴がある。巨人の星の大リーグボール養成ギプスなどはその典型。あんな機械を作ったら人間の筋肉は耐えず緊張を強いられて、カチコチの筋肉になる。そもそもあんなバネを身につけてづっと動くことはできないだろう。
ジョーのクロスカウンターは、破壊力が4倍、ダブルクロスが8倍、トリプルクロスが12倍の破壊力があるというのは、まったく荒唐無稽な論理という他はない。
巨人の星の大リーグボール2号の「消える魔球」は、星一徹の魔送球の横の変化を縦に変えて投げることで成り立っていたが、一度フォークボールのように縦に落ちたボールが地面につかずに再浮上するなどというのはありえない。しかし、星飛雄馬の足が高く上がり、砂埃を巻き上げたところに大リーグボール2号を投げ、ボールに砂埃を巻き付け、さらにホームベース手前で巻き上がった砂埃でボールを消すという論理は、なかなか込み入ったものだった(エポック社の野球版には、消える魔球が使えるものがあり、タイミングが合えば、ホームランを打たれてしまう魔の球だった)。
しかし、これらの荒唐無稽な技や論理が、まことしやかに語られ、それが作品世界の中で精彩を放っていることが面白かったし大好きだった。
大リーグボール1号も2号も星一徹の魔送球の改造版だったというのも面白かった。星飛雄馬はなかなか父を超えられず、しかもその父は、我が子を谷底に突き落とすライオンになって子どもの前に立ちはだかるというものすごいことが描かれていた。
大リーグボール3号は、ようやく星一徹のくびきを逃れた飛雄馬の魔球だったが、この魔球は星飛雄馬の野球生命を破壊するものだった。
このようにして描かれた作品を、何年たってもかなり克明に書けてしまうほど、梶原一騎の世界は子どもの心に食い込んでいた。
梶原一騎は、破天荒な人生を生きた。その人生は、原作者として描いた作品世界とだぶるものだった。
「巨人の星」「あしたのジョー」「愛と誠」「タイガーマスク」、共通しているのは、破滅への美学だったのではないだろうか。

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Posted by 東芝 弘明