光の饗宴と影
久しぶりに大阪に出て、「光の饗宴」を見て回って感じたのは、都会の洗練された感覚だった。2001年以降の小泉改革から13年が経過した中で、格差と貧困が確実に広がってきた。富める者は富んで、貧しさが一方に広がってきた。大阪にも富める者の側である資本には、資本としての蓄積が積み重なっていたようだ。住民は、お客さんとしては表向き、最高の綺麗なおもてなしがなされるようになった。
あべのハルカスの近鉄本店を歩き回った。食事の場所もお店の中も、自分が高級な何者かになったかのような空気感の中にいた。それは、お客さんである限り、洗練された空気の中に居場所を与えられる。
同じような感じは、大阪市役所のまわりにも存在した。光の饗宴によって美しい公園になり、人がたくさん集まってきて、ごみの分別も徹底されていた。大阪市の中心地で行われていた光の饗宴は、全ての屋台が洋食風のものという演出によって、さらにグレードの高いものになっていた。そのエリアには、大阪のたこ焼きもお好み焼きもなかった。中央公会堂の外側のおしゃれで古風な外壁を利用してプロジェクション・マッピングが行われていた。7〜8分の楽しく可愛らしいマッピングは、多くの人を楽しませていた。
もう随分昔になるが、大阪市役所に行ったときには、あのまわりには、たくさんのホームレスの人がいた。記事を検索してみると現在の公園整備計画は2007年11月着工とあった。現在の綺麗な公園になって、綺麗でおしゃれな公園にLEDの美しい電飾が施されていたが、それは、貧困の端的な表れだったホームレスの排除によって作りかえられたものだった。ホームレスの方々は、おそらく市役所の周りにいたら行政の支援を何らかの形で受けることができるということだったのだろう。そういう状況から一変した現在の姿は、まさに豊かな富が貧困を排除した出来事の象徴のようなものだった。

帰りになんばパークスにも立ち寄った。そこでも光の饗宴が催されていた。南海難波駅のところになんばパークスを作り、ホテルをそびえ立たせるというその姿は、南海電鉄が何に力を入れているのかを、見事に見せてくれていた。その一方で電車の方では、故障の多さと時間の遅れが頻発している。南海高野線は、橋本の区間も含め無人駅化されている。豊かさの裏に貧困がへばりついているが、資本の側の選択と集中は、同じ資本の中にも明確な「明」と「暗」になって存在している。
華やかさに目を奪われながら、この13年間の資本の発展を考えさせられることとなった。おしゃれな大阪は、和歌山で住むぼくにとっては、驚くべき変化だった。田舎にはない魅力が資本の蓄積と集中によって、商業の面にも明確に現れていた。街がおしゃれに再編されることによって、格差はさらに広がっていく。そういうことを感じざるを得ない休暇だった。









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