マスメディアの基本も国民主権と立憲主義にある
今日は私見を述べておきたい。
「表現の自由」から導き出される「知る権利」も「報道の自由」も全ては、国民の基本的人権の保障という根本理念によって支えられている。したがってマスメディアに絶対的に「知る権利」や「報道の自由」が保障されているのではない。個人の基本的人権を守るということと「知る権利」や「報道の自由」がぶつかり合うときには、メディアは自制的でなければならない。
同時にマスメディアは、国民主権の立場に立って権力の手を縛るという立憲主義の立場に立った報道をすべきだろう。日本国憲法は、憲法を守る義務を大臣や国会議員、天皇、国家公務員、地方公務員に求めている。一方で国民には基本的人権を保障している。マスメディアは、この現代憲法の根本的な理念である立憲主義の立場に立って、権力を握っている機関や政治家の権力の行使を監視する必要がある。国家権力に屈服したり、気兼ねしたりして報道を手控えたり、権力側の言い分を無批判にたれ流したりしてはいけない。それは、放送法という法律によって規制されているテレビについても同じことがいえる。
立憲主義は、国民主権を貫き国民の基本的人権を保障するために存在しているのだから、マスメディアもこの大原則に立って報道を行わなければならない。しかし、現在の状況を見ていると、NHKは、安倍首相と極めて近い位置にあると言われている籾井会長のもとで、政府寄りの報道に終始するようになっている。日本の民放テレビや新聞は、スポンサーのほとんどが巨大な企業で占められている。巨大企業の政治的経時的な要求による政治の買収が横行し、政権党と企業とは、明らかに癒着している。癒着状況にある企業がマスメディアを支えることによって、日本のマスメディアは、徹底的に国民の立場に立った報道を貫くというようなものにはなっていない。
以前からこういう状況にあった上に、最近は政府や各省庁からマスメディアに対するクレームが出されるようになり、メディアが必要以上に萎縮し批判的精神を欠くようになって来た。安倍政権は、あからさまなマスメディアへの介入を繰り返しつつ、同時に各メディアのトップや新聞記者と会食を重ねるようになっている。
今年の1月早々、日刊ゲンダイに次のような記事が出た。
こりゃ安倍政権のヨイショ報道があふれ返るのもムリない。大新聞・テレビの上層部が安倍首相としょっちゅうゴルフしたり、酒を飲んだりして籠絡されているのは有名な話だが、下っ端の記者まで官邸とズブズブになってしまっている。
昨年12月25日の首相動静を見ると、〈6時3分、内閣記者会との懇談会〉とある。何をしていたかといえば、飲めや食えやのドンチャン騒ぎだという。参加した記者が言う。
「首相官邸の地下2階のフロアに総理番記者が勢揃いし、安倍首相や萩生田光一、世耕弘成両官房副長官ら側近と1年間をねぎらう忘年会みたいな会合です。安倍政権になってから急に始まったわけではなく、歴代総理も恒例行事として官邸や公邸で懇談会を開いてきました」
担当記者と首相は年中、朝から晩まで顔を合わせる。忘年会をやろうが新年会をやろうが構わない。問われるのはその程度と中身だろう。
「内閣記者会の懇談会は安倍首相になってから格段に豪華になりました。去年は有名寿司店のケータリングがあり、腕利きの板前が握りたてのトロやイクラを振る舞ってくれました。公邸お抱えのシェフが切り下ろしてくれたローストビーフは、とろけるような食感でしたね。政治家の政治資金パーティーで出されるホテルの料理より何倍も美味でした」(前出の記者)
安倍首相の正面にはスマホで写メを撮ろうとする記者が喜々として列をなし、実際、ある大新聞の記者と安倍首相のツーショットを見せてもらうと、家族みたいに仲むつまじい様子だった。
さらに驚くのは、これらは全てタダ飯、タダ酒ということだ。首相官邸に問い合わせると、「懇談会にかかる経費は全て国費で賄っております」とあっさり認めた。
つまり、番記者たちは国民の税金で飲み食いしているということになる。(日刊ゲンダイ1/6)
この記事を読んで唖然とした。結局日本のマスメディアは、美味しい料理を食べさせてもらって、安倍政権擁護の記事を書くという様な状態にまで落ちぶれているということにほかならない。ここには醜い癒着しかない。
政府を批判するような新聞やテレビ報道に対し、偏向報道という批判が行われるようになった。偏向報道批判がひどかったのは、戦争法案の審議に対する報道だった。権力を監視し、憲法違反という批判を行ったテレビ報道に対し、政府批判を一方的に行っているとして「偏向」と批判するのは、明らかに誤っている。
法案に対して憲法違反という批判がなされる事態というのは、極めて異常な状態だ。日本国憲法は憲法違反の法律を制定することを認めていない。根本的な疑義が、圧倒的多数の憲法学者や多くの元裁判官、弁護士から出されていた状況のもとで、マスメディアがしなければならないのは、なぜ憲法違反なのかという解明である。立憲主義が破壊され、国民主権が破壊されようとしているときに、国民の根本的利益を守って、何が憲法違反なのかということを明らかにするのが、国民の側に立つべき報道だろう。
それができないマスメディアというのは、権力の監視を果たせない情けない存在だと言わなければならない。
国民主権と立憲主義の原則を貫いた報道を。権力の監視を。この問題は、国民の生命を守ることとつながっていく。戦前全てのマスメディアは、戦争に協力して大本営発表をたれ流した。今のような報道を続けていれば、同じ誤りを再び繰り返すことになる。戦前、マスメディアには権力に立ち向かうべき、たたかいの武器はなかった。あったとすれば、それは法律に違反して真実を報道するというものだった。現在は違う。安倍総理が執拗にマスメディアに介入して、攻撃をしかけてきても、偏向報道だとネット右翼が攻撃してきても、それをはねのけるだけの土台がある。その土台は憲法そのものだ。国民主権という原則と立憲主義を貫けば、国民の信頼は得られる。
その意味でマスメディアは、戦後最大の危機を迎えている。国民の側に立つのか、それとも権力の側に立つのか。この分岐点の上でやじろべえのように揺れながら、結局は権力の側に滑り落ちたら、マスメディアは戦前と同じような愚かしい誤りを繰り返すことになる。
安倍さんは、3分の2を占めて憲法改正発議を行う意欲を明らかにしている。しかも取りあげたいとしている憲法改正の条文は、緊急事態条項だ。この条項は、ファシズムの完成を実現できる危険な条項だ。この条項に対する危険性を自覚しないで、安倍政権の言い分をたれ流すようであれば、メディアとしての批判的精神は、木っ端微塵に打ち砕かれていると言っていい。政権を応援したら結局は自分たちも死に体になる。その道をもう一度マスメディアは歩むのか。2016年はこういうことも問われている。








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