明治からの77年と戦後73年

雑感

世界の在り方を最終的に決めているのは、暴力なのか、それとも社会的なルール(法の支配)なのか。

今日の地球上の中で、宣戦布告(開戦宣言、戦争宣言)を行って戦争を開始した例は、皆無になってきた。それは、国際合意に基づいて、国連が宣戦布告を行って戦争する行為を認めなくなった、つまり戦争を違法化したからに他ならない。宣戦布告による一方的な侵略戦争は、地球上では許されなくなったという「現実」がある。したがって戦後の国家間の戦争のほとんどは、「自衛のための戦争」として展開された。侵略戦争が皆無だったということはない。しかし、それは国際社会の中で次第に通用しなくなったということだ。
個別的自衛権が発揮されて戦争を戦い抜いた典型は、ベトナム戦争によるベトナム側の闘いだった。これは、祖国防衛と独立を求めて戦い抜かれた戦争だった。アメリカ側からのベトナム戦争は、アメリカによる侵略戦争だったし、ベトナム戦争に多くの国が関わり戦争に参加したのは、集団的自衛権の行使によるものだった。アメリカは、侵略のために先制攻撃を行うという態度を取ったのではなく、トンキン湾事件というでっち上げを行って、アメリカ側がベトナムから攻撃を受けたので反撃するという態度を取った。

第1次世界大戦は、資本主義国を中心として、領土の再分割を求める帝国主義国間の領土拡大戦争だった。第2次世界大戦は、日本とドイツとイタリアによる帝国主義的な侵略戦争だった。第1次世界大戦も第2次世界大戦も、独占資本主義国家が全世界を植民地にして支配するという、発達した資本主義国による帝国主義戦争だった。この時代の帝国主義は、資本主義が独占段階に達すると帝国主義になるというものだった。つまり独占段階の資本主義=帝国主義だという規定が成り立っていた。

しかし、第2次世界大戦を通じて国際連合ができた後も、朝鮮戦争やベトナム戦争、アフガニスタンへのソ連による軍事侵略、アメリカによる軍事侵攻などが続いてきた。しかし、1960年以降、爆発的な勢いをもって植民地が次々に独立を勝ち取り、植民地主義が崩壊した。こういう時代に入ると、独占資本主義=帝国主義という規定が成り立たなくなった。つまり独占資本主義は必然的に帝国主義になるとはいえない状況が後半に広がった。このような状況のもとで、帝国主義的な性格をもった国や帝国主義的な政策を採用している国というのは、数少ない存在になった。
第2次世界大戦後、ソ連とアメリカが中心になって双方が軍事ブロックを形成し対立しあうという冷戦構造は長く続いたが、1991年12月のソ連の崩壊によって崩壊し、軍事ブロックによる2大陣営による対抗関係は消滅した。

こういう状況変化の中で、宣戦布告による侵略戦争は、成り立たなくなった。全世界の変化の中で、先制攻撃を行う用意があることを明言している国は、アメリカぐらいしか存在しなくなっている。

世界の在り方は、暴力による支配から法の支配へと大きく舵を切りつつある。戦争状態にある地域で起こっている圧倒的多数は内戦だ。内戦は、さまざまな対立理由によって国内で武力闘争が行われているものだが、この内戦に対し外国が介入している例が存在する。

法による支配が、歴史の流れになる中にある。ただし、アジアの中には、いまだに戦争の火種が残っている。国家間の戦争として残っている少ない例の一つが朝鮮戦争だ。ただしこの戦争は、現在停戦状態にある。アジアの中にあるこの戦争を終わらせることが、求められている。停戦状態にある朝鮮戦争を再開させないためには、アメリカと北朝鮮の軍事的対立は、どうしても止めさせなければならない。
アメリカの先制攻撃による朝鮮戦争の再開は、日本や韓国を戦争に巻き込む現実的可能性をもっている。アメリカと北朝鮮の対立による戦争の現実的危険性を直視する必要がある。日本が取るべきなのは、韓国と同じように戦争を絶対に避ける、戦争をどんなことがあっても起こさせないということだろう。

安倍さんのようにトランプさんを支持して、北朝鮮を挑発するようなことは、ただちに止める必要がある。アメリカが北朝鮮に対し先制攻撃を行うと、北朝鮮は、韓国の米軍基地や日本の米軍基地を攻撃する権利を得てしまう。そうなると日本国民に被害が及ぶ可能性が濃厚になる。
日本は、今こそ、憲法9条の精神に立って、アメリカと北朝鮮に対し対話によって緊張を緩和させ、現在の対立を解消させるために力を尽くす必要がある。「対話のための対話は意味がない」のではなく、対話をしていない状況を改め、対話によって平和を実現することが問われている。

法による支配によって権力者の手を縛り、平和を実現する流れを生み出すためにも、暴力によって物事を解決するのではなく、社会的ルールによって物事を解決する太い流れを生み出す必要がある。明治維新から150年。日本の場合は、第2次世界大戦までの77年と第2次世界大戦後の73年は、全く違った歴史となった。国民主権と基本的人権、恒久平和という新しい戦後の日本の枠組みが、第2次世界大戦までの77年とは全く違った73年を生み出した力になった。21世紀を日本の戦前のような体制に戻すのか、それとも戦後73年の歴史の教訓を踏まえて、さらに発展させるのか。
このことが大きく問われている。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明