まわりの人々のために 働くことによって 自分自身も成長したい

雑感,議員の活動

手記をビラにすることにしました。この前に書いたブログの記事を下敷きに、妻の意見も踏まえて書き直して、ようやく決定稿に近い形になりました。
ビラにする前にブログに載せたいと思います。

お金に汚れず真っ直ぐに生きる人々に出会って

高校時代にロッキード事件が起こり、首相が収賄で逮捕されていたので、世の中は汚いと強く感じていました。そんな中で出会ったのが日本共産党でした。高校を卒業して半月後、日本共産党に入りました。18歳になったばかりでした。お金に汚れず真っ直ぐに生きる人々がいて、自分もその一員になれるのはすごく嬉しいことでした。
「国民の現実の苦難の軽減」のために日本共産党は誕生しました。「困った時は共産党に相談すればいい」という言葉をよく聞きますが、この言葉は日本共産党の努力が伝わったものだと思います。まわりの人々のために働くことによって、自分自身も成長したいという思いが、今も胸の中にあります。

30歳で立候補 同級生に支えられて

30歳で初めて立候補した時は独身で、父方の親戚が新城に1軒だけという状況でした。両親はすでになく兄妹とも離れて暮らしていました。
「誰が頼りになる?」
と聞かれて、同級生だと答えました。
議員になってからも多くの同級生に支えられて来ました。笠田中学校と笠田高校の6年間でつながった同級生は、人生の宝物です。
議員になってから多くの住民の方との出会いました。保守系議員の方々との交流が深まり、自治体職員との交流と協力、自治体が果たしている役割を知る中で視野が広がりました。

議員の仕事の一つは住民の願いを実現すること

初立候補のときから公約を鮮明にしてきました。
学校給食の実現には24年かかりました。ごみの収集システムや古紙回収の制度、週2回の曜日をい固定した収集、山間部収集などの一連の提案は、南町長やその時々の課長との共鳴と努力によって実現したものです。「かつらぎ町の仕組みを広域のごみ収集の基本にできる」という提案も実現しました。可燃粗大ごみの収集の実現は、山本町長の時代でした。
議長といっしょに学校のクーラー設置に取り組み、議員全員の賛同を得て、予算の修正案を提出し、実現したこともありました。
介護保険の保険料の独自軽減の提案を繰り返し行う中で、制度が充実し、井本町長の決断によって全国でもめずらしい独自減免ができました。
学童保育の保育料の値下げでは、井本町長と意見が一致しました。
4年前に提案した乗り合いタクシーは、議員共通の要求になり、子どもの貧困対策の提案は、議員全員による提言として発展しました。

住民の願いや運動、町長の決断、地元の住民や職員の努力など、新しい施策は多くの人々の協力によって生まれたものです。この中で議員の質問は、新しい施策を実現するきっかけになります。
心と心が通いあって、笑ったり泣いたり。議員の仕事には、こういう場面がたくさんあります。議員は、住民の願いを実現できる仕事です。笑顔を力に、人々の気持ちに寄り添って、これからも仕事をしたいと思います。

平和は全ての物事のゆりかご

第2次世界大戦は、5000万人の命を奪いました。日本の犠牲者は310万人、広島・長崎には原子爆弾が投下され、日本の都市の多くは焼け野原となりました。これらの犠牲の上にできた日本国憲法は、国民主権と基本的人権を永久の権利として宣言し、戦争放棄を原則としました。軍隊を持たず交戦権を認めない憲法9条には、国民の強い思いが示されています。

父は戦争を引きずって戦後を生き、酒浸りになって死にました。終戦の時20歳だった母は、教壇に立って、子どもたちに御国のために命を捧げることを教えていました。戦後は「教え子を再び戦場に送るな」という誓いに心を動かされて、組合活動に参加しました。母が残したノートには、8月15日が巡るたびに戦争のことが書かれていました。あの時代を生きた人々に、戦争は深い爪痕を残しています。

平和は、全ての物事のゆりかご、空気や水のような存在です。平和をかけがえのない土台に、暮らしや福祉をよくするために力を込めてがんばります。これからもよろしくお願いします。


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雑感,議員の活動

Posted by 東芝 弘明