何度目かの具体と抽象

出来事,雑感

朝配達が終わって5時に事務所に行き、会議の準備をした。こういう日が何日あっただろうか。毎日綱渡りのように朝の時間を活用している。自分の頭で考えて、文章を書いているが、忘れてはならないのは、現実との関係だ。脳は、考え込んでいくと事実から乖離することがある。主観が勝ってしまうのだ。そうならないためには、たえず現実の事実に基づいて具体的に考えて、具体的に対応することだ。現実はどこまで行っても具体的であり、具体的なものを離れた現実はない。この具体的なもの午後との中に分け入っていくためには、抽象的な思考が必要になる。

具体的な現実を把握するためには抽象的な思考が求められる。抽象力は、具体的現実に分け入っていく羅針盤の役割を果たす。ただ抽象力は思考の中の産物でもあるから、具体的な現実から離れてしまう可能性がある。具体的現実を認識する人間が、頭の中で勝手に具体的現実を作り上げ、そこに抽象的思考を働かせると、結局は妄想×妄想となって現実から乖離する。

全ての人の思考は、現実から乖離する危険性をたえず持っている。人間の思考は、外界からの刺激を受けた反応なので、思考そのものが、外界という現実から得た主観に過ぎない。客観的な思考というのは現実にはあり得ない。自分の思考が、客観からの反映であることを十分知った上で、現実と抽象との関係を理解し、たえず現実把握を行いながら、抽象的思考を羅針盤にして現実の海を航海するのいがいい。

自然には法則性がある。法則性があるのでこの法則性を土台にして組み立っている現実にも物質の統一性は貫かれている。荒々しい波のように見えるかもしれない現実にも法則性は貫徹されている。それは、統計学的な傾向にはとどまらない。こういう物質の統一性を知った上で、具体的現実に向き合うのがいい。全ての物事はランダムに存在しているのであれば、人間は現実把握さえままならないだろう。物質の統一性を成り立たせている法則性があるからこそ、複雑そうに見える現実を人間は把握することができる。こういう土台の上で具体的なものと抽象的なものの関係が成り立っている。

やっぱり、事実を読み解くためには哲学が必要だ。

出来事,雑感

Posted by 東芝 弘明