今年は45年前とよく似ている

雑感

やはり今年の気候は、45年前、母が亡くなったときに似ている。兄が大学生、ぼくが高校生、妹が中学生だったので母の葬儀は高野山の中の橋で行われた。ぼくと14歳違いの従兄弟が、母に育てられた関係だったので、従兄弟が葬儀を引き受けてくれた。
戦争が母や父や従兄弟の人生に暗い影を落としていた。母と父との結婚は、戦死した父の兄の子どもを引き取って育てるところから始まった。母のことを「ねえ(姉)」と呼んでいた従兄弟にとって、母の存在はかけがえのないものだった。

母は、14日の午後11時10分に息をひきとり、夜中に高野山へと運ばれた。45年前、14日の夜からかなり冷え込んできて、葬儀が行われた16日は、その冬一番の冷え込みになった。高野山の気温はマイナス10度以下になった。16日の水曜日の1時頃から始まった葬儀は、かなり激しく雪が降る中でのものになった。従兄弟の自宅に棺が置かれ、祭壇が作られて葬儀になった。親族はみんな開け放された部屋の畳の上に正座して座り、長い読経に耐えていた。靴下をはいた足の先がすごく冷えて痛くなった。
参列者は、雪の降る中、縁側に用意された焼香台に向かって手を合わせてくださった。母の同僚だったM先生が、焼香台の前に立って、「あかんかったか」と声を出した。

「春雪妙宰信女」
これが母に付けられた戒名だった。母の名前から取られたのは「宰」の1字だ。母の名は「宰子」と書いて「すずこ」といった。女性なのに「宰相」の「宰」が入っているとときどき母は言っていた。
春の雪が降りしきり視界がはっきりしない状況のなか、母の棺は、多くの人が遠巻きに円を描いて見守っている中で3回円を描いた。ぼくのクラスの同級生や他のクラスのぼくの友人が見守る中にいた。担任のK先生が目を伏せて立っていた。白っぽいコートが黒い制服の中に浮かんでいた。

今日は45年前と同じように雪が降った。外に出て携帯電話で電話をかけていると指先が冷たくなってくる。
季節はめぐる。季節は繰り返す。気候が似ているのでそんなことが頭に浮かんでくる。

マイナス10度以下の高野山内。葬儀の次の日の朝8時、斎場で遺骨を拾った。空気がしんと澄んでいた。青い空と白い建物のコントラストが鮮やかだった。甲状腺がん全身転移という病気の治療は、コバルトなどの放射線治療などによって行われていた。母の骨はほどんど形が残っていなかった。遺骨に対面した身内からほうっとため息が漏れた。
母は、病院のベッドの上で寝たまま、足を骨折していた。子どもたちを残して命が絶えることをのぞんでいなかった母の無念が伝わってきた。一行は、ほんの少し骨を拾って骨壺に入れ、弔ってもらうために大明王院に行った。
その帰り、玄関のたたきに置いていたみんなの靴が凍って石畳みに張り付いていた。靴を引き剥がすのに苦労した一行の背中に粉雪が舞っていた。

雑感

Posted by 東芝 弘明