自分の主体に関わる学び方

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」
論語の中にある孔子の言葉。これを真下信一さんは、朝に道を聞かば、昼にはこれを行い、夕べに死すとも可なり」だと説明したことがある。真下さんは、学問は単に知識を得て、それを生きる力にすると言うものではなくて、学問は、自分が真理を得てそれに従って生きるために行うものだと説いた。
全ての学びは、生きるために行うものであり、自分の生きてきた幹に価値あるものを融合させるためにおこなうものだということだろう。自分の生き方の中心に据える幹は、別の言葉で言えば理性ということになる。知識や科学の認識は知性を司る。しかし、人間は知性を学ぶために学問をしているのではない。真の学問は、自分の幹の中心に、自由と民主主義、ヒューマニズム(今日では全ての生物の進化を視野に入れた精神に発展させるべきかも知れない)を位置づけ、これを理性として育て、この理性をさらに深く豊かに発展させるために知(知性)を学ぶということだと思われる。
昨夜、娘と2人で『シャーロックの子供たち』という映画をネット配信で見た。池井戸潤さんが原作の映画だった。面白かった。しかし、この映画を見て最も痛切に感じたのは、自治体と民間企業との違いだった。
自治体と民間企業の金銭感覚は全く違う。映画では、支店長と詐欺を働く民間社長が結託して、不正融資を実現し、行員を窮地に陥れることが描かれていた。議員行員は、この社長に弱みを握られていた。社長の会社が大きな儲けを上げたときに、そのお礼として1000万円のキャッシュバックを受け、このお金を受け取っていたことが、最大の弱みとなった。
詐欺を働いた社長は、20億円の住宅開発をおこなうと、お世話した行員に持ちかけ、10億円の融資を求め、融資が実現したらニセのペーパーカンパニーを閉めて、10億円の融資をネコババするという事件を起こす。しかもこの事件は、支店長と最初から結託したものだった。融資から3か月ほどが経って、社長は行員に電話で、「返済ができないから100万円立て替えてくれ」という話を持ちかける。困った行員は、銀行の金に手を出して100万円を社長の会社に振り込む。
こういうことが、映画に描かれていた。
100万円で人生を狂わせる銀行員のことがリアルに描かれているのを見て、自治体というものの金銭感覚と民間との違いを痛切に感じた。
かつらぎ町では、一般社団法人夢洲新産業・都市創造機構(以下、「夢洲機構」(大阪万博とIRカジノに関わっている組織)と口約束(結局かつらぎ町と契約は交わされなかった)とのタイアップで、VIPのおもてなしのためにヘリコプターによる企画を立ち上げ、結局は段取りがうまくいかなくなって、120万円の損失(予約のキャンセル料)を発生させる事件があった。
120万円の損失については、議会に予算として出されている。責任を誰がどう取るかはまだ進行形。事件が明るみになってからかなりの期間が経過しているのに、いまだに進行形という形に留まっている。
夢洲機構とは
本法人は、「大阪・関西万博」が開催される夢洲において、万博・成長型IR・夢洲まちづ くりがシナジーを発揮し、万博後も成長型IRが核となり、世界の人々を魅了するイノベー ションリゾートとして持続可能に成長するために、産学公が共創し、IR産業、観光文化産 業、健康医療産業等多様な連携による新サービス、新事業、新技術等を創出し、万博のレガ シーを活かす未来都市の創造を目指す。あわせて、会員相互の啓発、交流を深め、大阪・関 西及び我が国の経済・社会の進歩と繁栄に貢献する。
『シャイロックの子供たち」では、100万円の事件をめぐって、ことが動き出し、巨額の不正融資が発覚していき、多くの銀行員が処分され、退職する話が描かれていた。映画は、20億円の事業を大手銀行は大きな事業だと捉えていた。住宅開発の利益率が10%だとしても、3000万円の住宅を立てる場合、建設戸数は73戸もの建設となる。考えて見れば大きい。
かつらぎ町は小さな役場だが、庁舎建設の費用について、50億円を超えるかも知れないという話を、当たり前であるかのように語っている。
行政が建物を建設するときは、制度をうまく活用すれば、交付金や補助金や起債が認められ、小さな財源しか用意できなくても、ケースによっては大きな予算を組むことができる。
本町の庁舎建設の場合を見てみよう。
地方自治体は民間とは違って倒産しない社会的存在なので、庁舎建設関係の貯金が4億2000万円しかなくても、例えば50億円の建設資金の何割かを国の起債で賄い、残りを民間資金で用意するとなる。庁舎建設のために結成されるSPCという会社には、銀行が資金を提供する。どうして実績も何もないSPCに銀行が資金を貸し付けるのかといえば、貸し付ける資金の全額を利息付きで自治体が支払うからに他ならない。こういう関係性のもとで巨額の資金が動く。
自治体では、民間とは全く違う論理で事業展開が図られる。この世界に身を置いていると、金銭感覚がおかしくなる。
ぼくは『シャイロックの子供たち』を見ながら、この金銭感覚の違いが恐ろしくなってきた。自分も麻痺しているよなと感じる。もちろん、自分の生活では、10万円も損失が生まれると、心が病んでしまうだろう。9800円ほどのパソコン購入詐欺にあったことは一生忘れられない。
『シャイロックの子供たち』という映画は、金銭感覚について思い知らされる映画になった。この感覚を議員としても大事にしたい。学問における学びという話に戻せば、娯楽作品に見える映画から生き方を学ぶことができるということだ。自分の主体に引き寄せて学ぶことが生きる力になる。今日書きたいことは、ここにあった。
かなり、回りくどい書き方になってしまった(笑)。



