「みんなでまもる文化財」
昼から天野のゆずりは(元天野小学校)の体育館で、歴史民俗資料館のプレオープンイベントとして、記念講演があったので参加した。参加した議員は、Facebook用に写真を撮り、それにコメントを添えて紹介している。そういう意識がほとんどないので、ぼくは1枚も写真を撮らなかった。文字の記事だけで興味や関心は湧かないと思うが、感じたことを書いておこう。
数年前に和歌山県内でお寺やお堂にある仏像が盗難にあって、売りさばかれてしまうという事件が発生した。1年以内であれば、オークションなどで販売されていたとしても、古物商が買い求めた値段で取り戻せるということが紹介された。なるほど。しかし、1年以上経つと、所有者に権利が発生するので、ときには高額な価格で買い戻す必要が生じるということだ。
文化財には国宝や重要文化財があり、県や市町村指定の文化財がある。しかし、そういう指定を受けていない文化財も歴史を明らかにする重要なもので歴史的な価値がある。和歌山県内で起こった盗難は、文化財に対して知識も思い入れもない人が、お金を手に入れるためだけに文化財を窃盗し、売りさばいていたという事件だった。盗まれた仏像は壊されたりして、散々な状況だったという。取り戻すために博物館は、盗まれた文化財を追いかけ、取り戻し、元の場所に戻す努力をしたと語っていた。
人口減少と高齢化の中で、価値ある文化財の管理や保管が危機に瀕している。管理ができない状態が広がっているのだという。そのため、高校生や大学生の力を借りて、仏像をさまざまな角度から撮影し、画像として立体的に再構築し、それを3Dプリンターでプリントアウトして、「お身代わり仏像」を造る取り組みが行われている。本物に近い色を塗って「お身代わり仏像」をお堂に納め、本物は博物館で管理してもらうというものだ。多くの人がこの取り組みに関わって文化財を守ろうとする気持ちの交流がいいなと感じた。
講演のテーマは「みんなでまもる文化財」。講師は奈良大学准教授の大河内智之氏。講演の締めくくりは、博物館が法的にどう位置づけられているかという紹介だった。それは、国民主権と民主主義に基づく博物館のもつ意義を真正面から紹介するものだった。
国民主権のある一人一人の住民が、文化財を共有財産としてみんなで守っていくという理念は素晴らしい。個人の尊厳の尊重に本質をもつ国民主権という概念は、まさに多様性を前提としたものになる。文化財の価値の中には、宗教の歴史と深く結びついている。例えばその仏像に、どのような宗教的な背景があったとしても、それを対等平等に扱って、文化財のもつ意味を人類の歴史の中に据えるということだろう。明治政府が、廃仏毀釈で神道を持ち上げるために、お寺を解体したり仏像を廃棄したりした考え方とは全く真逆の考え方に貫かれている。
明治以降の文学作品にも価値が生まれている。図書館から「はだしのゲン」や「ちび黒サンボ」などを排除する動きは、文化財を共有財産とする考え方とは相容れない。そんなことも考えた。



