本質に迫る質疑の組み方

雑感

議会の予算質疑2日目。詳細説明という名の反問権を町当局に保障したなか、ぼくの質疑に対して2回、詳細説明を求めるという場面があった。即座に反応して答える必要があるので、発言をさせてもらった。2回ともぼくの発言で詳細説明は終了した。できるだけ簡潔に質疑をしたいと思っているので、最近は、よほどのことがない限り論理の展開をしないようにしている。詳細説明という声がかかったのも、説明をしないまま質疑を行っているところに原因がありそうだ。しかし、そういうキャッチボールがあってやり取りが深まるのであれば、それでいいとも思う。

議員の側も、町当局側からの詳細説明を求めることに馴れていかなければならない。どんな角度から問い返されても、答えられるようになる必要はあるが、すべて完璧だというようにはならないだろう。当局が答弁に窮するように、議員に詳細説明を求めたら、答えられないということもあるだろう。
ただ、きちんと問いかけているのに、当局が曖昧な答弁に終始する場合、議員の側からも「詳細説明」を求める場面があってもいいかも知れない。それがあれば説明責任が果たされていく。質疑というのは、基本的に質疑をする議員の方が圧倒的に有利だ。問う側は、曖昧な認識であっても問える。答える方はそうはいかない。
質疑する議員が有利だということを十分理解した上で議員の制約についても書いておきたい。議員の質疑には3回という制約がある。国会のようにはぐらかすような答弁が行われると、3回しか答弁できないので本質に迫れなくなる。わざとはぐらかすような答弁はほとんどないと思うが、まともに答えがたいシーンはある。そういうとき、答弁は詭弁的なものになる。詭弁的な答弁を完全になくすことは不可能だろう。

まあ、そういうことも含めて議会におけるやり取りだと思われる。何を問いとして立てれば、本質に接近できるか。
調べたことを前提として聞くことは大事だろう。調べた事実にもとづいてさらに問うことだ。ただ、予備知識のない住民が、その質疑を聞いて理解できるかどうか。このことを議員は意識しながら質疑を行う必要がある。これもかなり難しい。
知らないので問うというようなスタンスで質疑をすると、3回という制約に負けてしまう。本質に迫れる議員質疑の組み方とは。これは奥が深い。


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雑感

Posted by 東芝 弘明