安上がりの庁舎ができる可能性あり
午後、庁舎建設調査検討委員会が開催された。債務負担行為を議会に上程する段階になって、町は立ち止まって検討するということになり、6月の上程は見送られることになった。かつらぎ町としてどれだけの債務負担(将来の負担の限度額をあらかじめ決める議決のこと)ができるのかを明らかにするものだと説明があり、毎年2億円の負担を決めるのは無理だという説明だった。
「負担の限度額という話だが、同時にその負担が妥当なものかどうかという側面からも債務負担行為の額について、議員は吟味して見極める必要がある」とぼくが問うと、町長は岡山県の美咲町の例を紹介し、10億何千万円かの費用で庁舎を建設した例を紹介し、保健福祉センターを残し、総合文化会館に教育委員会が入っている現状も含めて、建設を考えるという見方を示した。建設経費と建設期間の短縮を考えて、こういう方法も視野に入れるということだった。
美咲町の事例は、徹底的に庁舎の建物を安く仕上げるという考え方が貫かれているというので、ぼくは「笠田のオークワのお店は倉庫のような建物。あれで十分役割を果たしている」と発言し、建築経費の削減という考え方が入り、総合文化会館や保健福祉センターの活用という視点で建設を考えるのであれば賛成だという気持ちを表明した。
それにしても発言する議員が少ない。説明があったのであれば、あらゆる角度から質疑を行って、いろいろな視点を浮き彫りにするのが議員の仕事だと思っている。
いつも、ぼくは自分の責任で物事を判断したいと考えている。そのために事実関係に肉薄して自主的な判断を重ねたいと思っている。ここに議員の責任がある。
議会における賛成には二通りある。徹底的に吟味して賛成するのか、それとも町当局の議案に対して追認しつつ賛成するのか。前者の立場は、苦しいこともあればしんどい作業も伴う。判断の見極めが問われる。後者は、何も考えないまま賛成し続けるだけでいいというケースも含まれる。
全ての物事は検証されなければならないという意味で、ぼくは「全てを疑え」という精神を自分の中心に据えている。もちろん、検証しようとしても、検証しきれないことはある。その場合でも、責任をもった判断が問われる。徹底的に事実を探求し、問題点を明らかにしてもなお、検証しきれない場合は、なぜ検証しきれないのかを含めて、課題を明らかにして判断を行う。
当局と議員の判断の違いは何か。
当局はその判断に至った経緯を全て把握できる立場にある。議員は長時間かかったプロセスを短時間で把握して、物事の本質をつかみ、想像力も総動員して、ことの本質に迫ろうとする。議員の判断にはたえず不十分さが伴う。見えていない問題も物事には潜んでいる。それでも責任ある判断を求められる。
全てに賛成する議員の中に、無責任性は含まれていないか。このことは全議員に問いかけたい視点の一つだ。議員が無責任に追認するだけの存在になってしまえば、議会はその意味を全て失う。質疑の時間を取っているのに、質疑のない議会は死んだ議会だ。
かつらぎ町の議会は死んでなどいないが、質疑は少ない方だろう。もっと活発な質疑をしてほしい。
委員会終了後、4時20分に妙寺公民館で宣伝カーを待った。外で車が来ないなと、うろうろ、うろうろしていたら公民館長がいたので、「演説をさせていただいてよろしいですか」と訊ねた。「いいですよ」という返事が返ってきた。
4時30分過ぎに車がやってきたので、演説をさせていただいた。
そのあと、4時50分頃から、役場前で演説をさせていただいた。物価高の中で県政に何ができるのか。これが知事選挙のテーマの一つだろう。










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