ようやく回復へ
選挙期間中なのに4日も休んでしまった。抗生物質の薬を飲んでも、頓服を飲まないと熱が上がってくるという状態を繰り返し、夜寝ているときが、一番苦しいという状態をずっと繰り返していた。日曜日になってようやく熱が下がり始めた。
熱がある間は文章を読むことがほとんどできなかった。
映画『35年後のラブレター』を観た。夜間中学の姿を見て、全ての学校が描かれている夜間中学校のようなものであったら、不登校の生徒は生まれないだろうなと思いながら映画を観た。
今の学校は、確実に何割かの生徒を不登校にするような仕組みの中にある。今の仕組みのままでは、傷つく子どもが再生産されていく。読み書きとそろばん(算数、数学)を基本として、社会や理科、語学は人間が豊かに生きる、自分の頭で考えて生きる人間をつくる上で欠くことのできないものだと思う。それらのことは、学ぶ主体である子どもが、学ぶことを通じて生きていることを実感し、学ぶことが人間として楽しいものである、という関係の中で組織されていくことが必要なのだと思う。
夜間中学校での学びは、まさに、一人ひとりの到達点を踏まえて、学ぶ楽しさ=生きる楽しさを土台に培われていく。どうして小学校がこうならないのか。公教育の中でこういうことはできないのか。
結論から言えば、資本主義でもオランダではこれができている。フィンランドでも同じようなことができているのに、日本は、学校が子どもと先生の苦しみの中にある。
教育を、本来の、人間の成長の喜びのもとに組織できたら、
教育が、一緒に学ぶ子どもたちとの競争の中で学ぶのではなく、自分の到達点をその人に合った形で伸ばしていくものに変化すれば、
教育が、いっせい授業を止めて、学びたいものを学ぶ中で知的好奇心を伸ばすようになれば、
それを保障できる教師を増やすために、教員が3倍化以上になれば、日本の教育は大きく変わるだろう。決定的なカギを握っているのは、抜本的な教員の増員。
政権交代がどうしても必要だ。
日本の公的教育は、国民の権利を土台に組織されていないので、「君たちにはこんなことができるんだよ」というメッセージを子どもたちに、ほとんど贈れていない。「人格の完成をめざす」という教育基本法の最大の目的が、最初から見失われているともいえる。ずっと強制力を持って義務が教えられ、抑圧され、がんじがらめにされ、競争の中に置かれている子どもたちの中には、得体の知れない違和感が、無自覚的に組織されている。このフラストレーションを解消してくれる存在が、今回は参政党のように見え、人気が集まっている。根底にあるのは、社会や人間に対する不振。形になっていないフラストレーションが、日本人ファーストという訴えにからめとられている。外国人を排斥しても政治は変わらないというより、さらに悪化するのに、外国人を攻撃すれば溜飲が下がるというのは恐ろしい。ドイツがユダヤ人を徹底的に迫害した歴史と重なる。
日本の学校教育が、自分の頭で政治や社会のことを考える人間を育てていないことが土台になって、本質を見抜けない人間が再生産されている。参政党のウソは、この政党の憲法創建案(憲法改正案)をみれば、それで全て分かるのに、それを読んでもピンとこない人も多いようだ。
いったい、日本の教育制度、どこから間違ったのか?












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