共産党という名前の由来
日本共産党という名前が悪い。という意見が多い。
まずはその言葉の由来から書いてみよう。
共産主義というのはコムニズム。語源はコミュニティと同じ。コミュニティの意味は「共通の目的や興味、地域などを基盤として、人々が集まり、相互に繋がり、活動する集団」ということ。簡単に言えば共同ということになる。
AI検索するとコミュニズムは「(共産主義)とは、財産を私有ではなく共同体による所有(社会的所有)とすることで、貧富の差をなくすことを目指す思想・運動・体制のことです。共同体の所有とは、生産手段(土地、工場など)を社会全体で共有し、労働者が主体となって生産活動を行い、その成果を平等に分配することを意味します」
日本語のインターネットの世界で、コミュニズムをまとめると、こういう説明になる。まず違うのは、私的な財産はなくならないで豊かになるのが共産主義。AIが混同しているのは、生活手段(個人の私的財産)と生産手段(現在では会社の財産、会社組織になると社長の個人財産と会社の資産は区別されている)を一緒くたに捉えているところにある。
共産主義になると個人の生活手段(私的財産)は豊かになる。
また「貧富の差をなくす」というのは少し違う。貧困は克服されるが、個人間の経済的な格差は長期に渡って残る。社会が生産した富である「その成果を平等に分配する」というのを共産主義は目標にしていない。
個人の基本的人権の保障という点では、平等な社会をつくるが、個人の所有物も含めて物質的に平等な社会をつくることは共産主義の目標ではない。もちろん、社会の富が豊かになり、それを人間が受け取れるようになれば、富の差が大きな問題ではなくなる時代が来るだろう。しかし、そうなったとしたらそれは必然的な社会発展の結果であり、そういう社会を目標にするものではない。
「財産を私有ではなく共同体による所有(社会的所有)とすることで、貧富の差をなくす」というのは、財産の共有と公平な分配という意味に読める。しかしこれは、国によるコントロールを意味するものだ。全ての生産物を国家が管理し、国民に分配するという社会は、全体主義国家だろう。ここには個人の自由がない。
これは共産主義の考え方ではない。生活手段である個人の所有の再建と発展。これがマルクスが考えた共産主義の基本だった。
財産の共有というのは、マルクスの時代から行われた誤解だったらしい。共産主義という考え方が日本に入ってきたときに、明治政府は私有財産の否定という形で共産主義を攻撃した。
「共同体の所有とは」から途中まではわりと正確に書かれている。
「共同体の所有とは、生産手段(土地、工場など)を社会全体で共有し、労働者が主体となって生産活動を行い、」
「その成果を平等に分配する」というのは言葉足らず。同一労働同一賃金は実現するが、熟練の技術や技能、知識が必要な仕事については、報酬が高いのは当たり前。例えば医者になるためには、膨大な学習時間と実習が繰り返され、国家試験に合格しないと医者になれない。この人が、アルバイトよりも賃金が高いのは当たり前。会社の中でマネジメントが必要なのは共産主義も同じ。これらの人々の報酬が他の従業員よりも高いのは当たり前だろう。こういうものをなくすなんてことを日本共産党は考えていない。
経済的な活動の中で培われてきたルールは、一定の理念によって、強制力を持って作り替えるべきものではなく、その時代時代の要請によって、具体的に変化して行くものだろう。こんな社会をつくりたいという理念によって社会をつくるというのは、共産主義ではない。
現実の具体的な問題の具体的解決。もちろん指針となる理念はあるだろう。個人の尊厳の尊重と自由の拡大、基本的人権の保障、生存権の物質的な保障など、今資本主義の中で取り組まれている普遍的な価値を持ったものが、次の社会をつくる理念になる。
生産手段(土地、工場など)の社会化は、私有財産の共有ということではない。会社が持っている財産をその形態にふさわしく社会の手に移行するというもの。生産手段の社会化は時代の要請になるだろう。
巨大化した会社は、労働者によって動かされている。社長も労働者の中から生まれている。しかし、大きな会社であっても創設者やその一族が実権を握っている例も多い。それらの人々の中には、最初から会社の役員になるべく生きている人もいる。しかし、時代とともに、時間とともに、そういう会社も労相者であった人々が集団で管理する方向へと移行していく。
生産手段の社会化というのは、この巨大な会社の生産手段を協同管理、社会の管理に移すということだ。資本主義の中でもこういう管理形態をとっている組織もある。資本主義が発展してくると、巨大な企業は形の上では生産手段の管理は社会的なものに近づいていく。
日本共産党は、日本の中心的な巨大企業の中で生産手段の社会化に移行できる状況が生まれてくれば、社会全体の生産手段が社会化できなくても、共産主義への移行は始まると考えている。国有化=社会化でもない。
巨大な生産手段の社会化のプロセスには、試行錯誤が伴う。生産手段の社会化で実現すべきなのは、労働者の対等平等性。役割分担はあっても身分の違いはないというもの。会社の中で従業員の対等平等な関係が組織され、役割分担が認識されピラミッド型ではない組織を作るのは並大抵の努力ではすまない。これには何世代にもわたる努力も必要になる。
会社のような組織の中で、そんな夢物語が実現できるだろうか。という疑問もあるだろう。
共産主義になると労働力商品の価値どおり賃金が支払われる。それはかなり豊かな賃金になる。賃金は今の水準をるかに超える。労働時間が抜本的に短縮され、個人の自由な時間が拡大される。人々はこの自由な時間の中でそれぞれの個性を豊かに開花させる。このような状況の下で、会社という組織の中でも人間の個人の尊厳や権利の平等性が保障されはじめると、フラットな人間関係の新しい生産関係が組織されはじめる。命令によって、上司の権限によって動いていた組織が、長い年月をかけて作り替えられる。ここに展望があると思っている。だだ、現時点でこういうことを語るのは夢物語だろう。人間は歴史の中で具体的に問題を解決しながら前進する。共産主義になれば、そういう努力が始まると思う。
社会主義的な変革というのは、人間の頭で理想を描いて、勝手に社会を作り替えるというものではない。現実の具体的な課題を一歩一歩解決していく中で作り上げていくものになる。
ところで、資本主義は、大金持ちの物言う株主を生み出していく。実際に生産には関わらない個人が、会社を乗っ取ったり支配したりしている。果たしてこういう人が生産の分野に必要なのかどうか。日本は、銀行が企業に資金を貸し付け、それによって企業が繁栄することを軸に動いてきたが、2000年の小泉改革以降、株式資本主義への移行を掲げ、アメリカのような仕組みを導入したことによって、日本にも物言う株主が表れてきた。その結果、日本の企業のトップが外国人になるという例がいくつも生まれた。
富裕層と呼ばれる資産家が株主になり、働いていないのに社会を動かしている。こういう仕組みは、社会が使い将来解決すべき課題になるだろう。しかし、この問題も、強制力をもって廃止したり、資産を剥奪したりするような問題ではないだろう。
AIによる検索を試みると、共産主義=私有財産の共有という考え方が牢固に出てきて閉口する。個人の財産である生活手段と生産手段の違いが区別できないで、混同しているところに大きな原因がある。日本社会の中で共産主義がいかに誤解をもって把握されているかをAIが見せてくれているように思う。
さて、ここまで小難しいことを書いてきた。これはぼくの思考の展開のようなもの。考え方を文章化することによって整理しているに等しい。読んでいただいた人は誠に申し訳ない。
さて、次は共産主義という言葉の訳語について(今日、書きたかったことはここにある)。
コミュニズムを共産主義と訳したのは東京帝国大学だった。明治以降、洪水のように外国から入ってきた言葉を翻訳する中で、訳語がバラバラになっていたので、統一する必要性を感じた東京帝国大学が、コミュニズムを共同主義ではなく共産主義と訳した。「産」は財産の「産」ではなく、生産の「産」だった。共同で生産するという意味には、生産手段の社会化という意味が込められていた。日本で生まれた共産主義という訳語が中国に伝わって、中国でもコミュニズムを共産主義という言葉で表すようになった。共産党の「共」は共同の「共」、「産」は産業の「産」、簡単に説明すればこういうことになる。
名前が悪いという商工会の人にこう説明して、考え方は商工会と同じだと説明したら言葉に詰まり、
「でもイメージが悪い」「そう思っている人が多いですね」という話になった。
ソ連や中国のイメージ、財産を共有するというデマ、こういうものが意図的に流されて、共産党への偏見が出来上がっている。
日本共産党を見向きもしない人が多い。偏見をもって攻撃する人もいる。
実は、日本共産党の国会議員の質問は、極めて具体的で、法律にも則って追及するので、事態を前に動かすことが多い。質問には定評がある。本当はニュースになるべき変化も生み出している。政策を最も大事にしつつ、集団の力で積み重ねている努力は深い。ここから学んでいる地方議員の質問の中に、光るものが多いのも、そういう分厚い歴史的蓄積による。
いまは参議院選挙。共同で生産する党を大きくしてほしい。








ディスカッション
コメント一覧
考え方自体が間違っている。
久しぶりですね。
日本共産党のホームページを拝見しました。生産手段と生活手段の区別。生活の手段は社会化の対象にならないとのこと。対象になるということは、屢反共による攻撃にあったりするのだそうです。そうなんですね。唯、色々見ていましたら、バブーフというのに当たりました。平民派宣言で、平等社会実現のために、私有財産の廃止を主張し、共産主義の先駆と呼ばれているらしいです。共産主義者らはバブーフを高く評価したようなのです。まあ、古い話ですから良いのですが、この手の錯誤の遠因なのでしょうか。中国は毛沢東による、土地改革、国有化を実施。文革によって社会主義思想の徹底を図り、失敗。鄧小平による改革開放政策、社会主義市場経済を展開。貧富の格差が非常に問題視されるようです。都市と農村は世界が違う訳ですが、農業税廃止にまで踏み込んでいます。二段階論によりますと、共産主義は社会主義の発展段階のようながら、中国の富裕層の存在の問題は大きいのでしょうか。
共産主義の源流には、雑多なものがたくさんあります。資本主義の諸矛盾を痛烈に感じた人々が、頭の中で空想的な社会主義を作り出していく中で、財産の共有などの考え方が生まれたということです。
空想的だった社会主義の先駆的な考え方に敬意を払いながら、空想ではなく科学を基礎に社会主義的な理論を打ち立てていったのが、マルクスとエンゲルスです。マルクスは、なくなるまで資本主義研究を進めました。資本主義社会の法則の解明が、どこまで進められていたのかは、ぼくも極めて不勉強です。土地問題に対してマルクスがどういう研究をしていたのかについてはほとんど知りません。
ソ連でも中国でも、農業の取り扱いについては、集団化を強制したり国有化したりしました。そういうやり方が決定的誤りだったというように日本共産党はみています。中小企業にしても、個人商店、農家にしても個人的な経営を徹底的に保障するのが、日本共産党の態度です。それは、現在の資本主義社会の中の、農家を守る運動、商売人を守る運動、中小企業を守る運動の中で具体的に培われてきたものでもあります。
そういう人々の支持を得ながら、市場経済を通じて社会主義へ。これが日本共産党の路線です。