1本の銀杏の木

雑感

朝、新聞を配るときに、紀の川の堤防沿いの路に出るときに左手にある小さな公園の銀杏の木の葉が、日を追うごとに黄色くなって行くのを毎日見ている。晩秋、冬の始まりを銀杏の木が静かに告げてくれている。
地球という自然は、人がいない方が美しいのかも知れない。機械文明の中で、人々は、自分たちが自然界の一員で動物であることさえ忘れがちになっていて、自然に触れるときに人間も生物であることを感じたりしている。そういう感じ方は傲慢なのだと思う。地球は人間のためにあるのではなく、自然という絶妙なバランスの中で、人間の意思とは関係なく動いている。

資本主義は、飽くなき経済活動の中で、自然の摂理さえも自分の利益のあとにおいて、やはり今も「我亡き後に洪水は来たれ」という考え方を貫徹している。

地球温暖化は、大気に占めるほんのわずかなCO2が、気候変動に決定的な役割を果たしているのだという。

Geminiで検索してみると次のような記述に出会う。

現在の濃度水準: 2024年の世界平均で423.9 ppm(速報値に基づく)。
ppmは「parts per million」の略で、100万分のいくらか、という割合を示す単位です。423.9 ppmは、大気中に二酸化炭素が約0.04239%含まれていることを意味します。
増加の傾向: CO2濃度は工業化以前(1750年頃)の平均的な値とされる約278 ppmと比べて、現在では約52%増加しています。
年間増加量: 2023年から2024年にかけての増加量は3.5 ppmと、近代的な観測が開始されて以来、年間で最大の上昇幅を記録しました。

この0.04239%という値は、極めて小さい。この極めて小さい二酸化炭素が、地球温暖化、気候危機を引き起こしている。これを減らそうという国際的な約束に日本は背を向けている。背を向ける根底には、資本主義の利潤追求がある。

日本の原発再稼働の理論も、資本主義の利潤追求に他ならない。福島原発の事故は、原発の是非を問うものだったのに、日本は再稼働に舵を切っている。自己の責任を国民に転嫁し、新たな税金まで国民に背をわせているにもかかわらず。核燃料の廃棄物を処理する技術がなく、その処理費を電力会社に背負わせると産業として成り立たないので、政治が介入して切り離しているが故に、原発は成り立っている。そんなものは論外だと思うが、日本の悪政は止まらない。

銀杏の葉は黄色く鮮やかになり、冷たい空気の中に立っている。ものもいわずに。壊れていくときに植物も悲鳴を上げるようだが、それは私たちの耳には届かない。

雑感

Posted by 東芝 弘明