Nさんへの手紙
Nさんの文章に触発されたので手紙のような文章を書きました。Facebookにコメントとして載せようとも考えましたが、長くなったのでブログに掲載して、コメントにかえるということに致します。
Nさんの文章を読ませていただきました。「憲法9条と謝罪」という観点は、日本の戦争を構造的に考える上で、大事な出発点になるように思います。
Nさん自身が、「憲法9条と謝罪」という言葉に違和感を感じると書いていましたが、この違和感も大事だと思いました。ぼく自身もこの言葉にはまだしっくりしない感じがあります。
日本の侵略戦争は、島国である日本から他国に出て行き、朝鮮や中国を植民地にし、そこを拠点にして、さらに侵略戦争を展開するというものだったので、招集された軍人以外及び満州国や他の植民地にいた日本人以外の、国内で生活していた日本人にとっては、戦争は、なかなか具体的には実感できないものだったと思います。
戦争報道が、日本の支配層に都合のいい報道だったことも、戦争の実態を知ることのできないものにしていたと思います。
最愛の人や夫が戦死して帰ってくれば、戦争の悲惨さを実感していたと思いますが、多くの家族は、戦場から帰還した兵士から戦場の話を深く詳しく聞くことも少なかったのではないかと思います。とくに、当時の感覚としても非人間的な行為をしたことについては、多くを語らなかった人が多かったのではないでしょうか。
太平洋戦争が始まって、アメリカによる空襲が行われ、日本の都市部が大規模に焼け野原にされた中で、国内にいた日本人は、戦争による被害というものを深く体験しました。農村部は、疎開という形で、都会の人々を受け入れ、貧しさに耐えるという体験を重ねたと思います。そこに戦死の報が大規模に入って来ました。かつらぎ町でも1700人以上が戦死しています。美里の長谷には、戦没者のお墓が戦後個人の篤志家の尽力で作られていますが、田舎であるのも関わらず、戦死した人の墓は、かなりの人数に登ります。多くの日本人にとって、第2次世界大戦は、まず何よりも被害者としての戦争だったように感じます。
ぼくの個人的な体験で言えば、加害者としての戦争を衝撃的に考えさせられたのは、森村誠一さんが「赤旗」に連載した「悪魔の飽食」でした。731部隊の実態を描いた連載の中で作家の森村さん自身が書いていたように、加害者としての戦争を考えさせるものになっていました。
日本は、朝鮮半島から朝鮮の方々を大量に労働力として連行して、過酷な労働に従事させています。こういう行為を行いながら、従軍慰安婦には強制連行などなかったとうそぶく神経には、許しがたいものがあります。日本にいる在日韓国人と在日朝鮮人の方々は、橋下氏や橋下氏を擁護する人々の言葉に深く傷つけられていると思います。
沖縄だけが、日本にとって地上戦が戦われた戦場となりました。日本の軍隊が侵略の軍隊であり、民族蔑視の考え方、暴力による軍隊内の支配、女性蔑視(これは日本国内も含めて)等々の性質をもった軍隊であることを赤裸々に示したものになったと思います。自決の強要には、日本軍の「生きて虜囚の辱めを受けず」という教えが根底にあったと思います。方言の強い沖縄県人を忌み嫌った背景には、民族蔑視があったと思います。アメリカ軍に対して「鬼畜米英」と呼んで戦意を高揚させていた結果、アメリカ軍への恐怖をあおった側面もありました。
日本兵に殺された沖縄県人も多かったところにも、侵略の軍隊という性格が表れているようにも感じます。
日本国内では、戦争を遂行するために、国内の民主的な運動を徹底的に弾圧しました。この弾圧の対象の中心にあったのが日本共産党でした。主権在民と戦争反対を掲げた政党を徹底的に弾圧し、最高刑を死刑にするという治安維持法は、特高警察を生み出し、猛威をふるいました。弾圧は、次第に日本共産党の範囲を超え、自由主義的な思想や宗教にも及びました。侵略戦争遂行は、国内の民主主義を徹底的に破壊するというのも、日本の戦争の大きな特徴だったと思います。
ドイツは、ナチスの台頭によって、次第に民主主義が破壊され、ユダヤ人の弾圧をテコに個人崇拝と一党独裁体制が作られましたが、国民は、この体制をある時期まで熱狂的に支持しました。ドイツは世界的な不況に巻き込まれ、経済が破綻して貧困が広がっていったときに、ヒットラーは国民の生活を守る施策を展開しながら、国民の支持を集め、自分の下に全権を集中するという体制を作り上げました。
ドイツは1939年にポーランドに侵攻し第2次世界大戦を引き起こしましたが、引き起こしましたが、1945年には、ヒットラー自身が自殺に追い込まれ、ナチスは崩壊しました。ドイツ自身が戦場となりました。
ナチスの崩壊によって戦争が終結したドイツと戦後戦争を遂行した勢力が引き続き日本の支配層に居座った日本には大きな開きがあります。
日本は、戦後、政界にも、財界にも自衛隊の中にも、日本の戦争を支えてきた勢力が復活して入り込んだ歴史をもっています。731の生き残りの部隊でさえ、日本の医療の中で高い地位を占めた人がいます。戦犯政治の継続という性格をもった自民党政治は、戦争を肯定し、戦死者を英霊としてたたえ、平和の礎になったと評価し続けています。
多くの兵士が、加害の責任を自覚し、数多くの証言を行った結果、日本の軍隊が、戦場でどのような戦争を遂行したのかが明らかになりました。これらの人々の証言は、極めて重く歴史を正しく伝える上で重要な役割を果たしたと思います。しかし、その一方で、自己の責任を免罪しつつ、戦争を肯定しながら擁護するという運動が一貫して続けられています。人間の中には、過去の体験を肯定したいという傾向が強くあります。自分の過去の行動を否定し続けることは、ものすごく忍耐のいるものだと思います。戦争行為を免罪する政府の努力は、自己の行為を免罪したい人を支え、擁護してきた歴史でもあったと思います。
こういう流れが、現在の靖国派の根底にあると思います。第2次世界大戦における日本の戦争を深く反省するためには、民主的な勢力による政権の変革、政治的転換が必要だと思います。
日本の戦争は、戦争を引き起こしていた当時から、個々の個人的な体験を超えて、戦争を構造的、立体的に把握するという学習なしには全体像をとらえきれないという仕組みを持っていたのだと思います。ドイツの戦争終結に至る過程と日本の戦争終結に至る過程は随分違います。この違いが、戦後の歩みの大きな違いに色濃く影を落としているように感じます。
私たち民主的な勢力も含めて、日本の侵略戦争を立体的、構造的に把握する努力が十分だったのかということを考えるとき、このような把握の仕方は、きわめて弱かったのではないかと思わざるをえません。私たちは、戦争の加害の歴史、被害の歴史を構造的、立体的にとらえ、学びを深める必要があると思います。
その過程を通じて、「憲法9条と謝罪」ということの意味が深まるのかも知れません。
もしかしたら、謝罪よりも贖罪( 「金品を出したり,善行を積んだりして,犯した罪をつぐなうこと」大辞林)の方がしっくりくるようにも思いますが。
加害者としての戦争は、加害を加えられた人々の体験から学ぶ必要があると思います。Nさんの「『9条の会』の皆さん、憲法九条を持って、中国へ行こう!! 韓国へ行こう!! アジアの国々へ出かけよう!!」という呼びかけは、極めて重要な提案だと思います。









ディスカッション
コメント一覧
東芝さま 第二次世界大戦への日本のかかわり方への立体的な把握への視点に全面的に同意します。と、同時に私は考えました。福島原発事故へのアプローチへの視点です。確に、第一義的な責任は、アメリカへの経済的な従属のもとに原発開発を進めた政府・財界にあります。そのような意味では、我々国民は「被害者」です。でも、それを「経済利益」優先で受け入れた国民の側にも「加害責任」があるのでは?という問題提起です。福島原発事故は、世界的な環境破壊に重要な責任を負っています。かくいう私は、1980年前後に、資源エネルギー庁の原発安全神話づくりのPR映画制作の監督を勤めました。、さすがにその後は、原発PR映画の制作に加担することは拒絶してきましたが、その責任は、今も、免罪されることはないと思い続けています。
「原発廃絶」の目標を達成するためにも、そうした「加害責任」を問い直す議論が巻き起こることを期待しています。
港様、コメントありがとうございます。
港さんのようなとらえ方が、大事だと思います。贖罪という言葉を記事の中で使いました。何だかものすごく重い言葉です。辞書を引くと罪滅ぼしとあります。この言葉も重いものですが、自分の過ちを認めて、生きる姿勢や態度を変え、新しい取り組みを始めるということだと思います。
日本国憲法第9条は、そういう意味で第2次世界大戦の反省の上に立った贖罪なのかも知れません。
少し話はずれますが、アメリカは、小さい頃から、「あなたはいい子だ。しかしあなたのしたことは悪い。あなたのその行動を変えなさい」というしかり方をするそうです。
日本の場合は、「何て悪い子なの」というしかり方をして、子どもの人格を否定するかのようなしかり方が多いという指摘を本で読んだことがあります。アメリカの場合、同じ贖罪でも、前向きな感じがします。積極的な生き方や行動を行って、罪滅ぼしに力を注ぐ。どちらかというとこちらの方に力点があるという感じです。日本の場合、いつまでも罪を犯した人は、自分自身その人間性を否定するかのような重さがある感じです。
もちろん、アメリカ人でもケースによっては罪の深さを胸にきざんで生きることになると思います。しかし、そこにとどまらない行動性があるように思います。
私もそうですが、人にはさまざまな過ちがあると思います。そこから何を学んで、どう生きるのかということですよね。港さんのお話を読んで、こんなことを考えました。