8月の終わりに

雑感

tokeiso

今日で8月が終了した。娘は、一足早く夏休みが終了し、先週の月曜日から学校に登校し始めた。駅に送って行ったこともあれば、自分で自転車に乗って駅まで行ったこともあった。娘の夏休みが終わったので、こっちもなんだか9月が始まったかのような錯覚に襲われた。
気温がここのところ低く、秋のような気配になっていたのも9月のような気持ちにさせてくれた要因だった。

8月には、いくつか悲しいお葬式があった。大谷や高野口のセレモニーホールに行くと、いくつかのお葬式が思い出される。悲しさが張り付いて剥がれないようなお葬式に出ると、人々は目であいさつするだけで言葉が出ない。人生の最後のあいさつになると思って、ぼくはもう何百回もお葬式に足を運んできた。同じホールにいろいろな記憶が重なっていく。
年を重ねるたびに、人は悲しみに鈍感になるわけではないらしい。自分の寿命が短くなるに従って、悲しみはより一層自分の体にまとわりついてくる。

写真は時計草。わが家の庭にもこの花が咲いている。珍しい花だといって妻が買ってきたものだ。時間は胸の奥に刻まれる。あわただしい日常の中で、忘れられない記憶が、深く時を刻む。


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雑感

Posted by 東芝 弘明