紀の川万葉の里マラソン2014

紀の川万葉の里マラソン2014。起きると6時をまわっていた。やばかった。日刊紙を配達し、身支度を調えて、伊都浄化センターの会場に入ると7時30分を回っていた。こんなに遅くなったのははじめてだった。
前の日、飲み過ぎたということだ。
今回は、大会本部付けではなく走路指示係の一人だったので、マラソンの違った顔を見ることができた。走っている人の息づかいというのは、ものすごくよく聞こえてくる、走るときの足音もよく聞こえるということだった。軽快な走りと何とか辛うじて走っているという違いは、一目瞭然だった。しかし、中には、ものすごく苦しそうに走りながらも、速い人がいた。うめき声のような息づかいに見ている方もしんどくなるような感じなのに、速いのは驚きだった。
午後は12時からリレーマラソンの走路指示に立った。速いチームと遅いチームの見極めがつかない。一周1.7キロの外周を20周する間に3周か4周追い越されているのだけれど、チームの中でメンバーがどのタイミングで入れ替わっていくのか走路指示の所からは見えないので、どのチームが先頭なのか、どのチームが周回遅れなのか、なかなか見分けがつかないからだ。
一生懸命走っている姿を見ていると、頭に浮かんできたのは、人間って一体何だろうという思いだった。ルールを決めてスポーツをして、それを楽しむということだけれど、ハアハア、ゼエゼエいいながら、苦痛に顔を歪めて走る。ただ走るだけなら動物にはかなわない。しかし、動物は、人間のようにルールを決めて2時間以上もそれを持続してやり遂げるというようなことは全くできない。ただ簡単に走るというシンプルな競技でさえ人間にしかできない知恵が根底に座っている。
人間は、まずもって飲み食い住み着なければならないのであって、しかる後に文化や芸術やスポーツに携わることができるのだけれど、衣食飲住のことをにも、文化的要素をふんだんに生み出しながら、さらにその上に立って人間的な楽しみを生み出すのは、人間にしかできないことだ。衣食飲住の上に立った部分をどれだけ豊かに人間的に花咲かせるのか、ということがその国の豊かさを示すものになっている。
日本が、ヨーロッパと同じような労働時間の短縮を実現し、たっぷりとした自由な時間を手に入れたら、もっと豊かな文化や芸術、スポーツを花咲かせるだろうと思う。働くことに魂を吸い取られている人が多い中でも、豊かなスポーツ文化を多くの人が楽しんでいるのは、本当にすばらしい。
走っている人に、「頑張ってください」という声をかけながら、今日はそんなことを考えていた。
大会の後片付けが全て終了したのは5時過ぎだった。









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