かつらぎ町の変化は積み重ねによって起こったもの
かつらぎ町が、委員会の請願不採択を本会議でひっくり返し、安全保障法案に対し「今国会での採決をせず」という意見書を提出した反響はかなり大きかった。
ブログのアクセスは昨日531、本日は660近くになっている。状況を切り拓いた結果、注目が集まったのは嬉しい。メールと書き込みも届いた。
今回の意見書提出のために、保守系議員の方々も奮闘した。自民党の国会議員からは、法案を可決したいという手紙も届いていたという。かつらぎ町出身の自衛隊員が、海外で戦争に参加し命を失う可能性があり、こういう法案に対し議会が後押ししてもいいのかどうか、という議論も力になったと思われる。
議会改革での保守系議員との共同、住民要求実現での共同、こういう努力の積み重ねの中に今回の委員会での議論、本会議での質疑、討論、一般質問等々があり、保守系議員の奮闘が生まれるという事態になったと思われる。
日本共産党議員団は、学校給食の実現、国民健康保険税の値下げをはじめとして、積極的な改善提案を積みかさね、多くの要求を実現してきた。この要求実現のプロセスの中で保守系議員とのさまざまな共同と協力があった。まちづくりのためには、保守も革新もないというのは、大事な点でもある。議員は住民の代表として、行政当局に対し是々非々で対応するが、与党だから賛成、野党だから反対というような姿勢を取るべきではない。もちろん場合によっては、反対が唯一の対案だというケースもあるが、いつも対案を積極的に示すとともに、まちづくりのための建設的な提案を積みかさねることが大切だと思っている。こういう努力が、結局は反共的な流れを打ち破る力になってきた。
日本の中には、70年間の中で培われてきた自由と民主主義を大切にする意識が根付いている。憲法9条を守りたいという意識は、国民の過半数をたえず超える。沖縄戦では日本の唯一の地上戦が行われた。戦場は悲惨な事態を大量に生み出した。これと同じことを日本は、アジア諸国で展開した。沖縄の痛みは、アジア諸国民の痛みと深くつながっている。沖縄でも中国でも、民間人がいとも簡単に殺害された。
「何人中国人を殺したか分からない」
これは、ぼくの父親の言葉だった。
戦争は、多くの人々の人生を破壊し、肉体と精神を深く傷つけた。この痛みを具体的に受けとめるためには、学ぶ必要がある。学んで未来に引き継ぐのは、現代に生きる私たちの責任だと思う。
戦争の歴史は、学ばなければ受け継げないほどの時間が経ってしまった。未来におぞましい戦争が復活しつつある現在、過去の戦争から学んで、「戦争を二度と繰り返さない」という意志を受け継ぐことが、未来を守ることに直結する。
「日本は絶対に戦争なんてしない」
そう思い込んでいる人も多い。そう思っている人は、戦争が始まったらどう感じるのだろうか。
戦争は、国民を騙すところから始まる。すでに政府はウソをつき始めている。法案に書いていない根拠のない答弁には、ウソが色濃く含まれ始めている。
軍靴の音を敏感に感じている人が、デモに参加し始めている。疑問をもち、自分で調べた人が、政府のウソを見抜き始めている。
海外派兵と自衛隊の活動範囲の拡大は、5兆円の軍事費をどこまで伸ばすのだろう。アメリカの後方支援として武器弾薬を運ぶというが、一体どれだけの予算を組むつもりなのだろうか。軍拡は、確実に増税と結びつく。消費税10%は、軍拡ための財源として必要になる。
そういうことを見抜く目。隠しているものを見る目。それは、なぜと問うところから養われていく。