消えてしまったタイピスト
「とと姉ちゃん」を見ていると、時代の変遷によって消えて行った仕事について考えさせられる。当時、商社などには、浄書室というものがあり、そこに和文タイプライターと英文タイプライターが置かれ、女性タイピストが1日中、タイプライターを駆使して清書していた。
とと姉ちゃんは、日中戦争が始まったころだが、ぼくが高校生だった1970年代半ばはまだ和文タイプが、かなりの技術が必要だけれど、商業高校では憧れの技術として、またクラブ活動として成立していた。ぼくが卒業した笠田高校でも、和文タイプライターによって作成されたさまざまな和文文字による絵画のような作品に魅せられていた。そう、ぼくたちの高校時代は、ワープロというものはまだこの世に生まれていなかった。厳密に言うとシャープが試作機を作ったのが1977年だ。東芝が1978年には日本初のワープロJW-10を発売した。ぼくが高校を卒業した年だ。しかし当時の価格で630万円もした。このときの技術が現在のワープロソフトの基礎になっているが、当時普通の人々にはまったく手が出ないものだった。
戦前、とと姉ちゃんの時代は、同じ文書を10数枚作成するのにかなりの苦労が伴った。だからタイピストが職業として成り立っていた。コピーの開発とワープロの開発は、事務作業に革命的な変化を生み出したが、それは同時に花形の職業だった職種を消滅させるものになった。電話交換手も、大きな会社になると物理的に電話回線のジャックを差し込んでつなぐという人が必要だった。大企業の内線交換手はかなり長い期間残ったようだ。
生活の中に当たり前のように存在していた職種や職業がどれだけ消えて行っただろうか。今日見た「重版出来」でも街の本屋さんの経営が苦しくなり、消えて行く話が折り込まれていたが、インターネットというものの普及によって、販売方法が様変わりして激変が現在進行中という状態になっている。
人間は、自分たちで激烈な変化を引きおこしながら、変化の本質をなかなか現在進行形の状況のもとでは把握できないできた。変化が起こり、時代が過ぎてしばらくすると、つまり変化を俯瞰できるようになってから変化の本質や意味を論じられるようになる。
音楽を支えてきたレコードの文化は、消えそうになっているし、CDもネット配信による販売に取って代わろうとしている。電子媒体に写真を残していたら、いつでも自由に昔の写真を見ることができるが、同時にそれは一瞬にして全ての写真を失うというリスクの中にある。
ぼくの場合は、毎日自動でバックアップをとっているが、ぼくが突然死んだらぼくのパソコンのシステムを完全に理解する人もなく、ネットを経由した契約内容も不明の状態に置かれることになる。Adobe、Microsoft、WOWOW、eo光(TV、電話、ネット)、アサヒネット、レンタルサーバーのロリポップ、これらの契約が、死後しばらく不明のまま継続され、焦げ付き、迷惑をかけるという事態が発生する。娘の子どもの頃の写真が、たくさんあるのにパソコンから引き出せないなどという笑えない話も出現する。
小規模なネット上の細かな契約については、死後速やかに死者に成り代わって処理するサービスが必要な時代に入りつつある。
とと姉ちゃんの時代は、すべて人間が作り出した物は、人間の意識の外に明確に存在した時代だった。記録はすべて電子媒体の中にという時代ではなかった。電子媒体の中の記録は、小さなスペースの所にものすごく多くを保存できるようにしたが、それは昔以上にはかないものだろう。人間の意識の外に物理的に確かに存在した時代、人間は地に足をつけて、大地を踏みしめて生きていたのかも知れない。現在のように居場所もなく、うずくまって生きつつ、全世界とバーチャルにつながるような、そんな生き方は存在しなかった。
最近、自宅で生活して外に出ることが物理的に困難な人が、何枚もカードを作って、ネットで商品を買い、生活破たんをきたした人がいた。居ながらにしてクレジットカードを作り、ネットで買い物をする。ちょっと前までは考えられなかった事態が起こる。カードの中には、支払い能力をほとんど査定しないものがある。
人間関係が、手元にある携帯やスマホによって、昔以上に複雑に絡み合うようになった。実際にまだ合ったことのない人とも友だちになり、しかもかなり込み入った話をして、互いを理解するようになっている。個人が情報の発信者になってつながりあうという時代は、人間関係が平面的なジグソーパズルから立体的なルービックキューブのように変化している。
それでいて、多くの人の心は、社会に対して閉ざされ、内に向かって開かれている。内に向かっている人も、正体を隠して外の社会と繋がっているという傾向もある。
人は、昔から多くの仮面をかぶって生活してきた。しかし、インターネットで複雑につながりあう現代社会は、その仮面の数を増やして、こちらの面もルービックキューブ型に膨らんだ。
さて、そういう社会にあって、人間はどこに向かうのだろう。とと姉ちゃんのカチッとした確かな日常に思いを馳せながら、もう少し確かに生きたい。そんなことを考えている。











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