学びを通じて自分の認識を耕す

雑感

明けましておめでとうございます。新しい年が始まりました。今年は大きな変化が起こりそうな予感がします。もちろん政治的な激動です。2020年が、政治を民主的に動かすという点で画期的な年になるよう全力を尽くしたいと思います。

年男ですね。2月になると60歳になります。還暦です。同級生の多くは、定年退職を迎えて大きな人生の転機となる年だと思います。ぼくは、議員という仕事柄、転機という形にはなりません。60歳という節目は、社会的に作られたもので体力的には衰えを感じるというものではありません。マンネリに陥らず、柔軟性を失わないためには、「学ぶ」という姿勢がどうしても必要だと思います。言い方を変えれば、学ぶ姿勢を貫いていくところには、マンネリは生まれないと思います。
化学でいえば可塑性ということになるでしょうか。学ぶことによって自分の認識の形状を変えていく。物の見方や考え方を具体的な物事を学ぶことを通じて認識も変化させる。しかもこの変化を楽しむ。そういうことができるようになると、学ぶことはかなり面白いと思います。

学ぶことを通じて新しいことを知り、新しい認識を獲得して、自分自身を柔軟に変化させていく。そういう学びが身についていくと、学ぶことは変化を楽しむプロセスを味わうということになると思います。学ぶことを通じて、変化のプロセスを楽しめるようになると、変化の中で物事を柔軟にとらえることができるようになるのではないかと思います。

自分の正しさを確認するために学ぶなんてことは、ほとんど意味がありません。こういうものの見方は、結局は自分の認識に従って物事の一側面を切り取って理解するということに陥ってしまいます。自分の中にある認識は、新しい事実にであうたびに変化するものであり、自らがもっている問題意識も、事実の前で変化していくものだという捉え方を、楽しめるようになるかどうか。これはかなり大事なことだと思っています。

人間は、なかなか事実をありのままに捉えることができません。それには明確な理由があります。人間は外界からの刺激を受けて、脳によってそれを捉えるからです。脳によって外界を認識するということは、主観的に物事を捉えるということに他なりません。脳の力によって主観的に捉えられた認識は、事実を把握していますが、主観的に物事を捉えることから人間は逃れられません。

こういう仕組みをもっているからこそ、事実をありのままに捉えることが難しいのです。事実をありのままに捉えるためには、事実に対して誠実に向き合うことが必要です。新しい事実が把握できたら、今までの考え方を改める。事実にもとづいて認識を変化させる。事実こそが物事に対する認識を発展させる力を持っています。事実こそが認識を発展させる契機になることを知っているのと知っていないのとでは、大きな違いがあるのではないでしょうか。

学ぶことを通じて、自分の認識を絶えず耕していく。今年もそういう1年にしたいと思っています。
今年もよろしくお願いします。

雑感

Posted by 東芝 弘明