45歳の誕生日 2005年2月19日(土)

雑感

今日で45歳になりました。完全なる「中年」です。テレビで、犯罪事件が起こり、容疑者が逮捕されて年齢などが伝えられ、41歳などという話が出てくると、「中年の男性か」などと思ってしまいます。そこで、ワンクッションがあって、「あっ、ぼくより若いんだな」と思います。自分の年齢が40歳を超え、しかも半ばになりつつある自覚が薄いのです。
「精神年齢は、27歳の頃からほとんど変わらない」
自分の中にこういう持論があります。
子どもの頃、30歳という年齢の自分を考えてみたことがあります。小学校6年生のときの教室の黒板の上に年表が貼ってあり、2000年まで刻んでいました。もちろん、未来の年表には何も書かれていませんでした。当時は1972年だったのであと28年先を考えても何のイメージも何も浮かびませんでした。
大人は40歳にもなると、人生経験も豊かで、分別もでき、子どもにはない思慮などが身につくのだろうかと考えていました。その年齢を15年も超えて、分かったことがあります。
孔子の有名な詩があります。
われ15にして学に志す
30にして立つ
40にして惑わず
50にして天命を知る
60にして耳順う
70にして心の欲するところにしたがって法を越えず
これは孔子という人物の一つの目標だったのかも知れませんが、「40にして惑わず」──これは嘘です。とてもこんな心境にはありません。少なくとも私の同級生には40にして迷わずという人はみあたりません。
「40にして心境、27歳と変わらず」
です。
精神年齢は、ほとんど青年期に確立したまま変わらないが、肉体の衰えを精神が徐々に受け入れていくに従って、老いを自覚し、次第に精神にも影響を与えていくのだろう。いまではこう思っています。
「お年寄りは外見ほど年寄りくさい精神をもっているのではない」
こう考えた方が現実に近いのかも知れません。
でも、中には老いと精神が重なっている人もいると思いますが。

さて、今日は朝9時から聖心幼稚園の発表会。始まってから終了までたっぷり3時間。娘はあいさつをしたり歌を歌ったり、オペレッタ(小歌劇、喜歌劇)をしたり、歌いながら踊ったり、ハンドベルや木琴をたたいたりとがんばっていました。
昼食は家族みんなでうどん屋さんへ。
午後は2連ちゃんで会議。その後、民報を折り込んでいただくために、4紙の新聞販売店へ。その帰りがけに喫茶店へ。誕生日プレゼントだといって、チーズシフォンケーキをもらいました。


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雑感

Posted by 東芝 弘明