「40年ぶりだと思います」

打ち合わせがあったので役場の議会事務局に行った。透明なガラス越しにソファーにマスクを付けた人が2人座っているのが見えた。着いたのは10分前、彼らは一体何時に到着したのだろうか。
名刺を用意していたので向かって左の人に名刺を渡し、右の人に渡した。
「しまった」
心の中で声がした。若い人の方から名刺を渡してしまった。
年配の方の職員の名刺の名前に既視感があった。
名前を名乗られたので、声に反応して思わず相手の目を見た。見覚えのあるような目だった。
廊下を歩きながら「親戚かな」とも思った。
応接室に案内して、向き合って腰掛けると年配の職員が話しかけてきた。
「わかりませんか」
彼はそう言ってマスクを外した。
「40年ぶりぐらいだと思います。ひがししばさん」
彼はぼくがよく知っているM君だった。年配の職員といっても、ぼくより2つ年下だ。
驚いた。「どうしているのかなあ」、という話は、友だち同士の飲み会で何度か出されていた。もちろん、居場所と仕事先を知っている友人は、M君の情報を話してくれていた。でも頭の中に仕事先までは記憶に残っていなかった。
まさか、こんな形で会えるとは思っていなかった。彼は、20歳〜22歳になるまでの間に会っていた年下の友人の一人だった。若い頃の率直さは変わっていなかった。物事をまっすぐに捉える彼の若い姿が目の前の人物に重なった。
彼は、和歌山県の南の方の大きな市で自治体職員になって、この4年間は県内30市町村が共同で設置している組織に派遣されているのだという。週末には家族のもとに帰っていたのだが、いっしょに住んでくれと言って、今は派遣先の市内で住んでいる。
「いい関係の家族ですね。お願いしたらいっしょに住んでくれるのは」
ぼくはそういう意味のことを言った。
M君は、和歌山大学の経済学部のすぐ近くに住んでいたアパートを探し回ったぼくのブログを読んだと言い、「ぼくも最近、あの辺りを歩いてみました」と言った。ぼくのブログが人の行動に影響を与えていた。
お互いに知っている友人の名前が出て情報を交換した。
嬉しい出会いだった。夕方、橋本に住んでいるF君にメールを入れ、M君に会ったことを伝えた。橋本の彼からは「今度の集まりに来てもらいましょう」と返事が来た。集まりというのは飲み会だ。
「それはいいですね。声かけします」
ぼくはそう返事を返した。
この話の後、議会だよりのことと厚生文教常任委員会のことについて、議会事務局の職員と打ち合わせを行った。メンバーが替わったので新しい議会だよりができていく。人が変われば編集の内容も変わるだろう。小さな集団なのでそこが面白い。民主主義と合議制。会議運営を研究したきっかけは議会だよりの委員長になったことだった。数えてみるともう10年ほどになる。10年が経ったのでもう一度、会議関係の本を読み込んでみようという気持ちになった。
集団の人の力を引き出しながら縦糸と横糸で布を織る感じだ。一人一人の糸に違いがあるのだから、織られる布も、その模様も人が変われば変化する。気持ちのよい織物ができればいい。そういう気持ちになっている。



