ジェンダーフリーが人間を変える
朝6時に起きて、会議のレジメを作成した。事務所での9時半の会議にほんの数分、遅れてしまった。事前に用意された資料に目を通すことなく参加したのは、ぼくだけだった。反省というか、この間タイトな日程だったのでなかなか難しいことだった。
午後も会議だった。作成した文書を提出して読み上げた。読んで見ると手を入れたい箇所、誤植などに気がついた。色々な意見が出て、文章の配置を変えることも含めて改善することとなった。
文書の中にはジェンダーフリーについても書き込んだ。
ジェンダーフリーを深く学べば、人間の認識が大きく変わり、ものの見方考え方が柔軟になると思い始めている。男らしさと女らしさは、時代によって、社会によって、政治によって押しつけられてきたもの。再吟味が必要になっている。男らしくも女らしくもなくていい。男はこうあるべきだという観念によって、日本ではかなりの男性が引きこもっている。女性はこうあるべきだという観念が、女性を深く傷つけている。でも、全ての人間は、生育過程の中で培われてきた男らしさや女らしさから逃れられない。無意識のうちに、自分の好き嫌いという感情の中にジェンダーは潜んでいる。
ぼくは現在60歳。ジェンダーフリーを体現できる世代ではないだろう。ジェンダーフリーが当たり前のこととして、受け入れられていけば、世の中は大きく変化するし、人間に対する見方が大きく変化するだろう。
ぼくの同級生と議論していると、はっきりものを言う同級生の女性に対して、「かわいくない」という意見が出てきた。この感覚は、ぼくには受け入れがたかったというか、違和感を感じた。ぼくが引かれる女性は、知的で男性と対等な感覚を持っている女性だ。こういう人に出会うと嬉しくなる。話をしていると自分の考え方についても、訂正が求められたり、刺激を受けたりするので新鮮な気持ちになる。
それはぼくの感じ方だ。どんな感じ方をしても自由だが、自分の中に溶け込んでいるジェンダーに向き合えば、ものの見方考え方にかなり幅の広い柔軟性が芽生えてくる。ここにも探求すべき面白さがあると思い始めている。










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