「美しい国へ」購入

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夕方から橋本市で会議があったので、少し早めに出て御幸辻にある本屋さん「ツモリ」に行った。
MacFan11月号と安部司さんの「食品の裏側」、安倍晋三さんの「美しい国へ」を買った。amazon「美しい国へ」のレビューを読むと「中身がない」、「論証していない」などの批評が多い。あまり良い評価が得られない感じだ。
「美しい国へ」という表題だが、美しい国の内実ははっきりしないという書評もあった。表題にふれないレビューも多い。安倍さんのいう「美しい国へ」というのは、現代が美しい国にはなっていないという意味が込められている。「美しい国」ではなく「美しい国へ」の「へ」に大きな意味がある。美しい国はまだ実現していないという認識が、「へ」に込められている。
「美しい国」をつくるというような表現の仕方は、何だか気味が悪い。美しくない国を美しい国に変えるためには、掃除が必要だろう。安倍さんは、何を汚いものと感じているのだろうか。
安倍さんにとって掃除すべき対象は、戦後民主主義そのものなのかも知れない。
国会の所信表明演説ではこんなことを言っている。

ところが、近年、子どものモラルや学ぶ意欲が低下しており、子どもを取り巻く家庭や地域の教育力の低下も指摘されています。教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家、社会をつくることです。

ここに示されているのは、今の日本は「美しくない」、だから教育改革が必要だということではなかろうか。
安倍首相が語った教育の目的は、現行の教育基本法の目的の否定でもある。教育基本法第2条と比較してみよう。

(教育の目的)教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

安倍さんのいう教育の目的は、「品格ある国家と社会をつくる」ところにあるのであって、人格の完成をめざすものではない。ぼくは、この所信表明にある教育の目的を読んで驚いた。教育基本法の改正案でさえ、「人格の完成を目指し」という文言が入っている。安倍さんの考えは、教育基本法改正案よりも、さらに離れたところにある。これでは、教育は国づくりに奉仕させられることになる。
安倍さん流の教育は、何をめざすのか。所信表明は次のように述べている。

家族、地域、国、そして命を大切にする、豊かな人間性と創造性を備えた規律ある人間の育成に向け、教育再生に直ちに取り組みます。

「国」を大切にする「規律」ある人間の育成に向け、「教育再生」に取り組む。この文言が意図するところはどこにあるのか。──意図は、安倍さんが早期成立をめざしている教育基本法の改正案を読むと見えてくる。改正案は、第2条で(教育の目標)を明記し、「目標」に5つのことを掲げている。この中に愛国心の問題も入っている。第2条に書かれている道徳的な目標の多くは、もっともなことだと言える。しかし、法律で人間のモラルまでしばって規定すると、子どもの内心の自由を侵すものにならざるをえない。書かれている道徳を守れない場合、子どもは教育基本法に違反することになる。“「国」を大切にする「規律」ある人間の育成”とは、法律で自覚と規律をお仕着せることに他ならない。
教育や学問にとって必要なのは自由である。学問は、ヒューマニズムに立脚するものだが、すべての定説や学説をも自由に批判し、研究することによって定説を覆し、新たな真理にたどり着いてきた。すべての物事を批判的に研究することによって、学問は発展してきた。国家の有り様を批判的にとらえるのは、社会的な科学を発展させる上では必要不可欠な視点になる。
民主主義的な規範、モラルは、日本国憲法の条文に結実している。基本的人権は、永久の権利として保障されている。この憲法の生成過程を批判的に学べば、国民が身につけるべきモラルは、豊かに国民の中につちかわれるだろう。モラルは、教え込むのではなしに教育を通して、一人一人の国民が、自主的に体得していくべきものだ。日本語には、涵養(かんよう)という言葉がある。「少しずつ自然に養成していく」という意味だ。モラルをつちかうためには、この涵養の精神こそ必要なのだ。
勝ち組、負け組が生まれても当然だ。
障害の重い人ほど負担の重い制度である自立支援法も当然だ。
大量破壊兵器がなくても、テロリストと何の関係もなくても、イラクにアメリカが戦争をしかけたのは正しい。
日本の法律に違反しても、グアムへの米軍基地移転に3兆円出すのは仕方がない。
「郵政民営化が実現すれば外交までうまくいく」といって選挙を戦い、郵政民営化への支持を得たのは正しかった。
国民に負担道を強いて、大企業にさらに減税するのは正しい。
9条は時代遅れ、憲法を変えアメリカと戦争する国になるべきだ。
君が代・日の丸をうやまい、国歌を歌うのは当然だ。生徒が歌わない場合、指導責任がある教師が処分されるのは当然だ。
国の注文は、非常に難しい。
以上のような無理難題を国民に浴びせているのに、国を愛すべきだというのだから。
これでは、「愛してくれ」といっても、愛せない人が出てくるのは当然だろう。
心底愛せる国になるよう現在の政治を変えようとする人がいる。
この人にも愛国心が豊かに流れている。
日本国に対して、
現状では愛せない人、
現状でも愛せる人、
愛しているからこそ変えようとしている人
100人いれば100とおり
「みんなちがってみんないい」

さて、こんな問題意識をもって、安倍さんの「美しい国へ」を読むことにしよう。

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Posted by 東芝 弘明