橋本駅、様変わり 2006年4月27日(木)
9時に役場に行き、キヤノンEOSkissDIGITALで宮井さんの写真と自分の写真を撮らせていただいた。一眼レフのデジタルカメラは、コンパクトカメラよりも断然いい。ビラに使う写真が1つできた。
朝は雨が降っていた。天気予報は昼頃から雨は上がると言っていた。予報どおり昼前から雨が上がり、いい天気になってきた。最近、かなり予報が当たるようになっている感じがする。
枝雀の落語のまくらに天気予報の話があった。
「晴れ晴れ晴れと言っても1年間で6割は晴れなので、かなりの確率で当たる。天気予報が当たる確率は7割ぐらいだから、年がら年中晴れ晴れ晴れと言っていてもそんなにかわらん」
こんな話だったと記憶する。
この話よりも、かなり的確に予報できるようになっている感じがする。
バック・トゥ・ザ・フューチャー でドクが「あと○秒で雨は上がる」といったあと雨が上がり、「天気予報は改善した」というところまでは行っていませんが‥。
今年は肌寒い日が長く続く。暖冬だと当初言っていたのにかなり記録的な大雪と寒さの続く冬になった。4月に入ってもなかなか気温が上がらず、自宅の部屋からファンヒーターを片付けられない。
10時30分にTさん宅で待ち合わせをした。Tさんはまだ戻っていなかったので、待っている間、車の中で「問題な日本語」を読んだ。
この本を読んでいると、簡単に「正しい日本語の表現」などと日本語について語ることはおこがましいなと思う。自分が信じている日本語の正規表現なるものが、いかに揺れ動き、変化し確定しがたいものかがよくわかる。
「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」
この表現には、以前からずっと引っかかるものがあった。しかし、「問題な日本語」によると、「<過去のことについての現在における評価>を表す表現として理解できます」と書いている。「全然いい」も現在は一般化しているようだ。
汚名返上も汚名挽回もOKだという。挽回には巻き返すという意味があるので、汚名挽回でもいい。これがその理由だ。
まさに言葉は生き物。揺れ動きつつさまざまな表現が生まれては消えている。多くの人々が一般的に活用しはじめ、誤用が転じて正規表現としての地位を占める場合もある。
この本は、この揺れ動いている日本語を把握して、文法上の説明を駆使して、「これは許される表現だ」とか「これは誤りだ」とかを解説している。
この本を読んだからと言って自分で「こうだから正しいよ」という力はなかなか身に付かない。ぼくの場合、多くの言葉を感覚的に理解していて、なんとなく正しいとか正しくないかを判断している。日本語は奥が深い。日本語は難しい。
Tさんと橋本に向かったのは、11時少し前。橋本つくとUさんがビルの前で待っておられた。2人はUさんの案内で駅前の横にあるビルの最上階にまねかれ、部屋に通していただいた。部屋の窓からは、橋本駅を俯瞰して眺めることができる。見晴らしがいい。
橋本駅は、かなりの張りぼてでプレハブ造りのように見えた。屋根はスレート葺きでいかにも安っぽい。駅の古さが改めて強調されているような感じがして、寂れた雰囲気がかもし出されていた。きれいに見えたのは、駅前の東側の道路だった。この道路は2車線に広げられ、国道に連絡されている。
近年劇的に変化したのは、駅前に塾が集中したことだ。
古賀という喫茶店、三角亭の2階、パチンコ屋も塾になるという。東広軒という中華料理屋さんも塾になっている。
橋本高校に併設された古佐田が丘中学校。この中学校が橋本高校にくっついて中高一貫校が実現した。1年生の定員枠は80人。この学校を作ることによって、競争が起こり中学校受験が現実のものになった。競争教育が公立の分野にも入り込み、子どもたちは小学校の時代から競争を強いられることになった。
“競争こそが教育改革の根本的な支柱”──こんな声が聞こえてくる。
「義務教育ニュービジョン研究会議報告」を読むと、小中学校の学区制の撤廃まで視野に入っていた。どこまで和歌山の教育を破壊していくのだろう。学校間格差を広げ、学校全体に落ちこぼれのレッテルを貼り、劣等感を育成することに何の意味があるというのだろう。
教育に信賞必罰を持ち込んで何をしたいというのだろう。








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