部活動の地域移行

雑感

かつらぎ町の体育協会の50周年記念イベントのシンポジウムに参加した。記念講演を行ったスポーツ文化ジャヤーナリスとでカルティベータ代表の宮嶋泰子さんの資料を見ながら、内心驚いて話を聞いていた。中学校の部活動の地域移行という話は、今後まず土日の移行から初めて平日も全て地域に移行し、高校生も同じようにするという構想を持ったものだ。この移行が完了すると、戦前から続いてきた体育のクラブ活動が完全に地域に移ることになる。

歴史的な経過も話されていた。地域で活動するのか学校で行うのかという出発のときに文部省の意向として、スポーツは学生がやるものであって、一般は後回しという考え方が通って、日本は学校の中に部活動が教育として存在するようになったのだという。その後、戦争に明け暮れた日本のなかで、体育の指導は軍が担うようになり、1900年代になると、軍人が指導者として学校で教えるようになったのだという。体育の中に軍事教練の考え方が色濃く反映し、日本の文化として影響を深く与えていた歴史を初めてきちんと知ることができた。

極めて根性主義的で、極めて精神主義的な日本のスポーツの文化は、1900年のはじめから日本のスポーツの中に影を落としたということだ。
ぼくたちは、「巨人の星」をみて育った子どもだったが、「巨人の星」の世界は、父親の意思を受け継がされた星飛雄馬が、成長過程で自分は野球人形のように育てられたことを自覚して苦悩しつつ、それでも自分には野球しかないことをさらに自覚して、自分の人生を歩いて行く話だった。戦争体験者で、戦場で肩を壊してプロ野球選手としては再起できなかった飛雄馬の父、星一徹が、息子に自分の思いを託し、息子が巨人に入団すると、今度は息子の前に立ちはだかって、息子の友情にまで壊して息子の成功を阻もうとする。しかもこのたたかいは、飛雄馬の左腕の破壊、再起不能かと思われるところで話が終わる。この物語は、極端ではあるが、日本のスポーツ文化を象徴していたのはまちがいない。

体育部には、「巨人の星」のような空気が、ぼくたちの子ども時代にはあった。しかも、残念ながらこの空気は今も存在する。軍国主義のDNAのような残滓は、日本のスポーツを歪め、日本のスポーツ界をも歪めてきた。

この流れから脱却する動きが顕著になったのは、いつからだろうか。
円谷幸吉が自殺したのは1968年。橋本市出身の前畑秀子さんは、戦前、1936年のベルリンオリンピックで金メダルを取った人だが、この人のエッセイには、「金メダルを取れなかったら死のうと思っていた」ということが書かれていた。
この人の生き方と比べると羽生結弦君は全く別の次元でスポーツをしていた。自分で自分の頂点を極めることを目指した人だ。スケートの清水宏保さんにも同じ感じを持ったし、有森裕子さん、高橋尚子さんもこういう流れを感じさせてくれる人だった。個人競技から未来は開けたのかも知れない。

町長がティーチングからコーチングへの移行ということを語り、中学生自身が自分たちで自らの技術を自主的に高めていくことを語っていたが、そこに向かうようにするコーチは必要になるだろう。それは学校の中で文化として培われるのだろうか。
日本の教育の自主性は、子どもたちに本当の意味でフリーハンドを与えるところまでは脱皮していない。それは子ども観に関わる根本的な問題だと思っている。少なくとも、学力テストにもとづく今の教育の有り様は、コーチングとはほど遠い。徹底的な管理と競争という土台の上で、自主性が育まれている。それは括弧付きの自主性にならざるを得ない。学校と教員が認める範囲での自主性。今はまだここに留まっている。

子どもの自主性を伸ばす教育は、しかし、始まりつつあるのでこれはやがて、全面開放まで進むだろう。それがどこまで実現しているかの一つのバロメーターは、18歳で成人となる高校生の政治活動を学校内でも解禁できるかどうかだと思われる。日本の大学が、自由をかなり制限しているのを見ると、心許ないけれど。
子どもの自主性を本当に育てたいのであれば、小さい頃から政治と社会の問題に、子どもの自由さをもってアクセスでき、しかも子どもの声が政治に活かされるようにすべきだろう。まずは、子どもの権利条約が認めている学校運営の意思決定への児童の参加が保障されなければならない。これが保障されるということは、学校のなかの政治(まつりごと)に子どもが決定権をもって参加することを意味する。

本来の学びは、知的好奇心に依拠して、伸びようとする意欲を伸ばすところにある。受験競争や学力テストで追い立てるやり方は、子どもの自主性の芽を摘む十分ひどい仕組みになっている。アメリカでさえ受験競争はないのだ。フィンランドの大学受験にも競争はない。学習の動機付けを受験競争という外圧によって組織してきた日本の教育は、先進国の到達点から見れば、何十年も遅れている。オランダの教育は、教員を増やすことによっていっせい授業を止めるとことまでいっている。フィンランドはそこまでは進んでいないが、カリキュラムの話を聞くと、子どもの自主性を伸ばす教育が考え抜かれて実施されている。

宮嶋さんの話に戻そう。
ぼくが一番驚いたのは、日本政府が、部活動の地域移行に対し、指導者謝金として用意しようとしている予算が、日本全体でわずか102億円だということだった。指導者の時給は2000円とう世界になる。
学校教育の一環である部活動は、教員給与の特別加算4%という特異な世界の中で、コストを意識されることなく運営されてきた。残業代が支払われないので、どんなに部活動に教員が関わっても、コストは度外視されていた。これを学校の外に出して行うときに、まだ未定の概算要求がわずか102億円というのはおかしい。異常だと思う。教員の残業代を計算して、それを概算要求すれば、スタートとしては十分な予算になるだろう。そういう発想はないようだ。
安倍さんの国葬には予算も組まないで16億円以上のお金を出す国が、子どもの部活動に関わる指導者の謝金には102億円しか出さない。これは一体何なんだろう。この国は、なんて子どもに冷たいんだろう。話を聞きながらそう感じていた。

金を出さないという点で一つの例を挙げよう。学校給食がその例にふさわしい。
子どもたちに美味しい給食を食べさせたいという思いをまっすぐのばすと、学校給食は自校方式になる。しかし、この自校方式は、1980年代以降ことごとく潰されていった。考えて見てほしい。チェーン店のレストランが、調理工場を作って、お店にはキッチンを作らないという方法で飲食を経営したら、そういうお店は、美味しくないので潰れてしまうだろう。料理は、作ってすぐに食べるからこそ美味しい。そういう自明のことが、子どもの話になったら給食はセンターでということになる。

部活動の地域移行。この歴史的な取り組みも、国民の自己責任でということだろうか。ぼくは、プロだったアスリートのみなさんが、地域で職業として指導に当たることを思い描いている。この話と講師謝金時給2000円の開きは何なんだろう。しかもこの102億円はもしかしたら3年間の立ち上げ時がすんだら打ち切りとなるのではないか。そういう心配までしなければならない感じさえ受けた。

この現実の前で専門家が集まってシンポジウムを開いて、ネックはお金の問題だという話になって、企業からの寄附とかクラウドファンディングだとか、個人によるドネーションだとかいう話も出された。企業版ふるさと納税の話が町長から出されて、ファシリテーターが「素晴らしい」と応じた姿をみて、逆に日本の政治の貧困を痛感した。
今日は日曜日。NHKの朝の国会討論会では、財源も示さずに軍事費を10兆円以上に伸ばす議論がなされていた。5兆円を超える軍拡は、教育の全体予算に匹敵する。軍拡によって教育と福祉はどうなるのか。これを考えなければならない。

自民党政治は、本当は既にもう終わっているのだと思う。高度経済成長期でもないのに、今も土建国家という枠組みを維持しつつ、教育にお金をかけない方向をばく進中だ。大学の機能が先細り、研究を職業とする人が不安定雇用になり、研究論文の発表数がどんどん下がってきているのに、ノーベル賞を受賞した人々から口々に日本の大学の在り方に警鐘が鳴らされているのに、官から民への動きの中で学校の中に民間の営利を受け入れるような構想が出てきている。明らかに常軌を逸している。
ハイエナのような資本主義が、公的部門という非営利の分野にまだ儲けを上げられるところがあるといって肉を食べようとしている。儲けの匂いが大好きな資本は、小さくなる日本の市場の中で内向きになり、自分の体を食べ始めたということだろう。まるで「千と千尋」のカオナシだ。

この政治に忖度していたら、日本の未来は開けやんで。と心底思っている。
部活動の地域移行の講師謝金の概算要求102億円。この数字はしばらく忘れられない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明