日本社会と結社
組織の課題というか、結社のテーマというか、考え始めると面白い。日本社会にある組織は、全て日本国憲法と法律との関わりがある。戦後の憲法は、国民主権と基本的人権、恒久平和を原則とし、結社の自由を保障しているので、国民は自由にいろいろな組織を作ることができる。結社にはそれぞれ規約があることが多い。これらの規約が、反社会的な場合は、大きな問題になる。統一協会が一つの典型だ。信者が納得していると言っても、寄付が生活を破壊するようなものであったり、霊感商法のようにサギ的なことをしていたり、さらにこの反社会的な団体が、政治に深く入り込んで政治を汚染していたら、いくら結社で宗教だと言っても通らなくなる。憲法と法律に基づいて判断される。裁判を通じて統一協会のやってきたことが裁かれているのは、その事例になっている。宗教上の問題ではなく、反社会的な行為が問われるということだ。
結社の中には団体も会社も福祉法人もある。それらの組織が、社会問題化するのは、法に照らしてどうかが問われるときだろう。
何の問題も持っていない組織であっても、人間の営みなのでさまざまな問題が発生する。横領や着服、パワハラやモラハラ、セクハラ、人権侵害事件。こういう問題が起こると、組織の自浄作用が問われる。こういう力が働かない場合は、社会に対し訴え出ることもある。全ての組織は、このようなあってはならないことをも想定して、組織を運営する必要がある。
結社の場合、組織内で発生した問題は、組織内で解決する努力を行うようになっているだろう。そのために様々な組織内のルールがあり、このルールに従わない場合は、組織内で処分を受ける。会社であろうが政党であろうが福祉団体であろうが、それらは同じだろう。もちろん組織によってルールは違う。
地方議会も事細かにそういうルールを決めている。他の組織と議会が違うのは、議会の会議が公開を原則としていることだろう。うちの議会は委員会と全員協議会を公開の対象にしつつある。
普通は、議会のようにオープ化されている組織はない。組織の情報をどのようにオープンにするかという点も、組織によっては細かいルールを持っている場合もある。
情報化が進み、個人が世界に向かって情報発信できる時代の中で、全ての組織だとは思わないが、組織によっては、その在り方も変わらざるをえないのではないかと思っている。
時代の変化の中で、ルールを再検討するのは、重要だと思っている。




松竹問題
松竹氏がジャーナリストという立場であったとすれば、今回引き起こした問題で、利益不利益を考えた場合、どういう結果をもたらすか分かっていた筈である。にも拘わらず強引ともいえる手法をとったのは何故か? 党の綱領も当然熟知していた筈だ。では、何故かかる事態を引き起こしたのか、という問題である。俺は統一教会(国際共勝連合)が裏で手を引き金品の遣り取りがあったんではないかと疑ってみる必要があると思うのであるが。つまり、人間は損得の勘定をするのが性(さが)であると思うからである。
「国際勝共連合」の間違いかも知れん。どうにもややこしい名前の団体だな。わざと、分かりにくくしているにかな。正体を隠す為に。
ま、いいや、此の問題はうんざりするので、東芝さんには敢えて返信を求めません。
兎に角、統一地方選挙で負けない様に頑張ろう。
少なくとも松竹さんは、SNS時代の中でこういう情報の発信をすれば、どんな事態が生じるのかを視野に入れて、仕掛けてきたと思います。それによって日本共産党が窮地に追い込まれています。
しかし、今回の試練は、いずれ通らなければならない試練の一つだと思います。野党共闘が成功せず、足踏み状態になったときに、党の路線をめぐって動揺が生まれたり異論が生まれたりするのは、いわば運動論の必然だとも思います。そういう問題でもあることを視野に入れて対応してほしいと思っています。
選挙で勝利するという点でなかなかやっかいな問題を抱えてしまいました。この問題を上回る努力が求められています。
大事なのは、松竹問題に対する対応だけではなくて、この社会問題を通じて何を学び取るのかということだと思います。今はまだ渦中にあるので、なかなか検討すべき課題は浮き彫りになっていませんが、いくつかの大事な深めるべきテーマが、やがて鮮明になってくるのではないでしょうか。こちらの方にも興味があります。こっちの分野で進化してほしいと思います。
成程ですね。試練ですか。勿論乗り越えるつもりですよ俺も。
日本共産党の歴史を紐解けば試練の連続ですね。そして日本共産党は不屈の精神で党を大きくしてゆくというドラマチックな展開を期待したいですね。反共攻撃なんて屁の突っ張りにもならんですね。正々堂々、威風堂々ですね。
時代の中で組織は柔軟に変化しなければならないと思います。今回の試練を経て、日本共産党が、原則を守りつつ、さらに物腰の優しい組織へと発展しますように。そんなことを考えています。
ただ、試練の渦中の中で、このテーマを追究するのは少し無理があるのではとも思っています。大量に弾が飛んでくるなかでは、まずは身を守る必要がありますから。
山下さんの論文のように、今の状況の中で、もう一段論考を深めて広く深く論議することはできるかなと思います。あの論考を生かさないといけません。あの論考の大切さを感じている人がどれだけいるか。と思います。
日本共産党の指導部の選出方法についてーー 一部の攻撃にこたえて
副委員長・党建設委員会責任者 山下宜樹芳生
ですね。俺も昨日読んでおります。なかなか読み応えがありました。
派閥・分派をつくらず、国民に対して統一的に責任をはたすうえで、一番合理的
此処が一番読み応えがありました。
山下宜樹芳生と、とんでもない名前で表記しました。芳生という名前が変換出来ずに、無理矢理、一文字、一文字打ち込んだら、こうなりました。