日本共産党の躍進に期待します
18歳で日本共産党に入り、活動し始めたとき、党の専従者の方が借りていたアパートに日本共産党を推薦する著名人のポスターが貼ってあった。日本共産党を支持してくださっている著名人の中には、日本の文化を代表しているような人が多いと思って嬉しかった。支持を表明している人の中には、手塚治虫さんも松本清張さんもいた。党に入ってから作品を読むようになった作家・藤原審爾さんもいた。俳優では加藤剛さん、今も第一線で活躍している女優のS・Yさんもいた。映画監督のY・Yさんがずっと日本共産党の支持を表明してくれているのは、ぼくとしては寅さんの映画と重なって嬉しかった。最近亡くなった瀬戸内寂聴さんはいつの頃から共産党を支持してくれるようになったのだろうか。「いつも日本共産党に入れてるのよ」と語っていた。
手塚治虫さんは、赤旗にも連載漫画を書き、最優先で原稿をくださったという話や、上田耕一郎さんの選挙で、街頭演説に立って応援をしてくれたこともあった。政治をまっすぐに見つめていくと日本共産党のブレない存在があり、文化関係の人の支持も多くなるのは、いわば一つの傾向なのかも知れない。
赤旗は、著名人の良心を集めるような力がある。赤旗の日曜版になかにし礼さんが登場して、小池晃さんと対談した記事も印象深かった。忌野清志郎さんは、自身のコンサートで選挙に行こうよと話をして、日本共産党に投票していることを明らかにしていた。忌野さんが日本共産党を支持してくれていたことを日本共産党自身は亡くなるまで知らなかったという記事が赤旗に載ったこともあった。
戦争反対と国民主権を貫き、誠実に活動してきた姿をまっすぐにみて、評価してくれることは本当に嬉しい。まぶたを閉じると1970年代の著名人の日本共産党の躍進に期待するというポスターが浮かんでくる。
著名人で日本共産党の支持者は意外と多いですよね。
俺の記憶違いかもしれないけど、仲代達也さんもそうではなかったでしょうか。落合恵子さんもそうですよね。タモリさんもそうである可能性がある。ただ、タモリさんの場合には職業柄、政治色をあまり全面にだすには、リスクがあるのかも知れない。
意外な人が日本共産党のシンパなのは面白い現象ですね。
日本共産党も面白い政党ですよね。なかなかのもんです。
タモリさんの最近の言動を見ていると、どうも日本共産党のシンパである可能性が濃厚なので「しんぶん赤旗」は取材に行ってみたらいいですね。
晩年は森繁久彌さんが、毎年正月の赤旗に出ていました。仲代達也さんは、よく出ていたと思います。今日の赤旗には向田邦子さんのことが紹介されていました。
向田邦子さんの本には鹿児島の事がよく書かれており、読んでおると、おお、そうだそうだ、という感じになる。例えば、もう今の時代では分からんかも知れないが、七輪、というのが出てくる。七輪で魚を焼いたり、餅を焼いたりする訳だが、その為には練炭が必要なのだ。火鉢などで焼く場合もあるのだが、此れも練炭が要る。練炭の穴に二つの長い金属製の鋏みたいなのを突っ込み、持ち上げてセットして入れるのだが、その前に練炭に火を点けねばならない。
俺の記憶では上に火を点けたのか下部に火を点けたのかが記憶が曖昧になっている。台所は土間になっており、そこで火を点けていた筈だ。
俺の行き付けのホルモン焼きの店に、この七輪でホルモンを焼いて喰わせる店がある。一組の客に一つの七輪がくる訳だが、大体俺の方が、年上な訳だから七輪奉行みたいな恰好になって、七輪の火力調整をしたりする。このホルモン焼きの七輪は練炭ではなく備長炭だ。七輪の上に網を敷き、火力は七輪の横にある空気調整の為の窓みたいなものがあるのでその火力を俺が調整しながらホルモンを焼いて喰う。美味い。何故、備長炭でホルモンを焼くと美味いのか。不思議だ。ガスの火だとこうはならないと思う。ホルモンの脂が備長炭の上に落ちて、煙がもくもくと立ち昇る。浮気をして帰ってくる場合、ホルモン焼きの店に寄って、煙で女の気配を消してくるのが上策だ。
練炭は御用聞きが売りに来る。練炭が切れそうになると、不思議とやってくるのだ。練炭は冬に活躍する。金玉火鉢という言葉があるが、今の時代には通用しないだろうなあ。冬の寒い時期、家に帰ってくると、先ず男の子は火鉢を股に挟んで暖をとるのだ。そして手を火鉢の上にかざしてさすりさすりする。これを金玉火鉢という。女はそういう事はしない。
向田邦子といえば、そういう記憶がよみがえってきた。
残念な人を亡くしてしまった。
いいですね。エッセイになっています。今日、石垣りんさんのエッセイが「しんぶん赤旗」日刊紙の書評欄にあったので、買いました。この人の文章も絶品です。
石垣りんさんは知らないのですが、東芝さんがお好きなようですので、俺も読んでみたいと思います。
プロレタリア文学ですか?
プロレタリア文学と言えば石川啄木ですね。石川啄木は実は俺も中学生の時愛読しておりました。「一握の砂」でしたかね? あともう一つ何かあったと思うのですが出てきません。二冊持っていたんですよ。然し小説は駄目でしたね。「雲は天才である」だったと思うのですが駄作でしたね。詩の天才が小説も上手く書けるか、というとそんな事はないという印象をもちました。逆も真なりで、小説の天才が詩を書けるか、というとそんな事はないというのが俺の感想です。まあ、詩は難しいですね。民青文学に東芝さんが書いた詩をどうやったら読めるのか、というのが最近の俺の関心事です。
石垣りんさんは、1920年(大正9年)生まれの人で、昨年生誕100年だったようです。戦争に一家が翻弄されるなか、再婚を繰り返した父のもと、戦後は働く意欲をなくした父と兄弟たちを支えて銀行員として、働き通した人でした。ぼくは、自分よりも10数年年上の人かなと思っていましたが、自分の母よりも6歳も上の人でした。ぼくとの年齢差は41年もあります。亡くなられたのは2004年でした。
石垣りんさんを知ったのは、おそらく「詩人会議」という雑誌だったと思います。この人の書く詩とエッセイは秀逸でした。ぼくが石垣さんのことを知ったのは、20代後半だったと思います。文章の書き方指南の新書版に石垣さんのエッセイの全文が載せられていて、こんな文章がどうして書けるのかと、思ったことがあります。
本が届くのが楽しみです。
ぼくが詩を投稿していたのは、民青新聞です。20代の頃のものなので、恥ずかしいです。
ただ今、Amazonで石垣りんさんの『朝のあかり』を注文しようとしたら在庫切れであったので、詩集を購入しました。残念。「しんぶん赤旗」に紹介されていた石垣りんさんの『朝のあかり』は文庫オリジナルエッセーなんですね。3冊の中から編んだ、と紹介されていました。
『朝のあかり』を早く読みたいものです。
8中総を読んでいたものですから、何時も読む本の頁を見落としてしまいました。有難う御座います。
文章の書き方指南の親書版も注文してみたいと思います。
話はかわりますが、今回書いた小説の直しが終わりまして一応完成したのですが、(あらためて、校正してみたら22ケ所間違いがありました)友人が暫く寝かせておくようにとの事であったので、暫く放置しまして、それから推敲を重ねようと思っております。完全を期するために。
民青新聞は国会図書館で読めるようです。国会図書館は貸出はしていないので、WEB上で閲覧出来ると友人が申しておりました。10年程前、WEB上で本を閲覧しようとした事があり、うまくいかなかった経験があり、(何かAmazonのカートのようなものがあり、それにのっけて読むのですが、上手くいきませんでした)今度は何とかやってみようと思います。
石川啄木ですが、もう一冊の本のタイトルを思い出しました。確か、「悲しき玩具」ではなかったでしょうか。その2冊を持っていたのです。
今回の小説は東芝さんが紹介されていた「セミナー講師の教科書」を参考にしました。有難うございます。この本はあらゆるものに応用のきく良い本だと思いました。
新書版の文章の書き方指南が、Amazonでヒットしません。
石垣りんさんが書いた新書版の「文章の書き方指南」なんでしょうか?
「石垣りん 文章の書き方指南」でもヒットしません。
岩波新書に「文章の書き方」というのが出てくるのですが、これも違うような気がするし、(石垣さんのエッセイの全文が載せられていて)と書かれているので、どうも岩波新書でもなさそうな気もするのですが。
なんででしょう?
まあ、取り敢えず『朝のあかり』の入庫を待つとしましょう。楽しみです。
誤植がありました。
「文章の書き方指南の親書版も注文してみたいと思います」の「親書版」は「新書版」の誤植です。こんな間違いでも、編集者からは見捨てられるのです。怖いなあ。推敲100回ですね。こんな風にして誤植はあとから気づく訳です。小説は、校正を専門にする業者がいて、確か、3万円程で校正してくれるんですが、俺の場合、心強い友人がいて校正と、矛盾文をただでして貰っております。
岩波新書の『文章の書き方』(辰濃和男著)という本がまさにそれです。辰濃さんは、天声人語を書いていた方です。この本に石垣りんさんのエッセイが載せられています。銭湯で石垣さんが体を洗っていたら、「産毛を剃っていただけませんか」と声がかかり、若い女性の背中に剃刀を当てる話です。1994年発売の本ですが、今も買える本ですね。
なるほど。
岩波新書でよかったんですね。買って読んでみようと思います。有難うございました。