国保と介護の質疑
決算委員会の3日目が終了した。今回は国保と介護の状況について、集中的に質疑をさせてもらった。
国保については、まず、一般論として一般会計からの繰り入れは赤字補填だが、法律的、制度的に言って繰り入れが禁止されているわけではないことを確認した。国は、国保税の収納などについて、指導助言をする中で一般会計による繰り入れは赤字補填だといいつつ、なくすよう求めている。これに対し都道府県も同じ態度を取っている。
こういう状況下でも、あえて一般会計からの繰り入れを行う自治体が生まれている。原理的にできるかどうかで言えば、一般会計からの繰り入れは「できる」ということになる。
2つ目に確認したかったのは、愛知県が各市町村に出した通知が他の都道府県でも同じ認識なのかということだった。愛知県は各市町村の国保担当者に対し、就学前の児童の均等割の軽減について、一般会計から上乗せの繰り入れを行ったとしても、それは一般会計による赤字補填ではないという見解を示した。令和3年度までは赤字補填、令和4年度からは赤字補填ではないというのがその内容だった。これについて、町当局との間では確認が取れなかった。
3つ目に確認したかったのは、和歌山県は保険税を統一しようとしているが、実は保険税統一というのは、47都道府県でわずか7つのみ。多くの都道府県では、保険税の統一という方針は採用されていないということだった。これは簡単に確認できた。
4つ目に確認したかったのは、和歌山県はたった一つの自治体が保険税統一に反対したら、保険税統一はできないという見解を示しているが、これは確認できるかということだった。この件については「承知していない」ということだった。県議会で明確にこう答弁しているので「ぜひ確認してほしい」と指摘した。
介護保険については、介護保険の要支援1、2だと介護認定された人へのサービスの実態を通じで質疑をさせてもらった。短期通所型Cというリハビリのサービスがあった。これは、自立判定を受けた人も含め、要介護1、2の中で短期通所リハビリに合致する対象者をピックアップして、リハビリのサービスを提供するものだった。令和4年度から始まった事業で実績はわずか5人だった。
このサービスの体制を取った事業所は1か所のみに留まった。まずリハビリの専門家が必要であり、要求されているリハビリのメニューから見て、マンツーマンの対応にならざるを得ないという点が、一つの壁になっていた。介護報酬の単価では、この体制を維持するのは難しいということだった。
同時に介護の職員募集がうまくいかないので、事業所が短期通所型Cを採用できる条件にないということだった。介護認定を受けていない人も、このサービスを受けることができる。費用負担は介護認定者と同じに設定されているということだった。この事業は総合型事業と呼ばれるもので、介護保険会計内の福祉事業というものだ。
もちろん、短期通所型Cというサービスが、要支援1、2の人すべてをカバーできないので、多くの人は、介護事業所で介護保険と同じサービスの提供を受けている。ただ、事業所が得ることのできる介護報酬の単価が要介護1以上の人よりも低いので、要支援1、2の人へのサービスがどうなっていくのか、これからも注視する必要がある。
介護保険から外される要支援1、2の人が受けるサービスをどう構築するのか。こちらの方は地域にコーディネーターを配置して、継続的に地域にどのような支え合いの力があるのか、という点をずっと調査している。令和4年度からは、社会福祉協議会に町が事業を委託して、コーディネーターの事業を推進している。地域で支えてくれるキーパーソンなどの人材を把握して、ボランティアによる福祉サービスを構築しようとしている。ぼくは、検討が始まってから五年以上になるこの努力に対し、「それは見果てぬ夢ではないでしょうか」と指摘した。
一旦、いくつかの地域でこの仕組みが構築できたとしても、実現するサービスの質が低くならざるを得ない。それは、介護の専門職が担うサービスではないからだ。なぜ人間が介護状態に至るのかを学び、どう向き合うべきか訓練を受けてきた人が、介護サービスを提供するのが介護保険のサービスだ。支えているのは有資格者。しかも要支援1、2の人々は80歳を超えている人が多い。介護状態の入り口に立っている人々の不安やいらだちは決して小さくない。そういうプロセスを十分理解していないボランティアが、善意で介護サービスまがいのことをしても、持続すること自体が難しいし、ボランティア組織が、持続性を発揮して維持されるのは難しい。ボランティアは、高い目的意識性が求められる。立ち上げ時に意欲を持ってボランティアが組織されても、世代の高齢化が進み、代替わりしていくときに一つの試練がやってくる。
医療や介護、保育、教育などは、高い専門性とそれを支える報酬(給与)制度があって維持されている。国による人件費の抑制や過密労働によって、このプロ集団の維持さえ難しくなりつつある。募集しても人が集まらない状況があるなかで、ボランティアによる安上がりの介護サービスめいたものを組織しようという発想が間違っている。
介護保険のサービスが十分豊かに組織され、国民の生活が十分潤っている状況の中で、地域におけるボランティアによる支え合いを組織するというのであれば、まだ理解できる。格差と貧困が広がり、長時間労働によって地域生活が破壊され、高齢者の中に生活苦が広がっている状況下で地域の教育力が落ちている。国はこの現実をどう捉えているのだろうか。率直に聞いてみたい。
国がボランティアを組織したい動機は、介護保険の費用を安く上げるところにある。介護保険よりも安く上がるボランティアの組織。こういう考え方があさましい。国民は国の手足ではない。ボランティアは、人のために努力するなかで喜びを見いだしたいという人間的な自己実現によって支えられている。それは、自分の自由な時間を積極的にボランティアに活用するなかで成立する。経済的に一定の収入がある人が、自分の自由な時間を人のために使うことによって、生まれる喜びがある。国の計画は、このボランティア精神とは合わない。
もしかりにボランティアによる福祉サービスが実現したら、介護サービスの賃金はより一層下がるかも知れない。多くの規制緩和が、免許制度に支えられてきた社会の仕組みを壊したように、専門性の破壊が事業全体の破壊を引き起こす引き金にさえなる。「見果てぬ夢」は、介護サービスの崩壊を引き起こす毒薬にさえなりかねない。










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