『中学生からの作文技術』
本多勝一さんの『中学生からの作文技術』を読んでいる。面白い。自分の文章が本多さんの書いているようなルールを意識して書いているのか、心もとないが、文章を書く技術として分かりやすく書かれているので、惹かれる。過去に読んだことのある本なのかも知れない。そう思いながら半分ほど読み進むと、点の打ち方のところにさしかかった。「ああ、確かに読んだことのある本だ」という確信を得た。
点の打ち方については、「本多勝一さんから学んだ」とずっと思っていた。本多勝一といえば点の話だというほど、点については意識してきた。意識はしてきたが、正確な点が打ててきたかどうかについては、まったく自信がない。今回再度読み直しているので、もう少し増しな点が打てるようになるかも知れない。
この本の背表紙には次のような紹介文がある。
上手な文章、美しい文章を書くには才能が必要だ。だが、「分かりやすい文章」を書くには才能は必要ない。誰ででも習得できる「技術」が必要なのだ。
本文でも、これと同じ意味のことが書かれている。「分かりやすい文章」であれば、誰でもかけるようになるという信念のもとで書かれた本が、『中学生からの作文技術』だ。この本の冒頭、日本の国語教育(本多さん曰く本当は日本語教育)は、文章の書き方を教えないという意味のことを書いている。これは現在もほとんど変わらない。文章の書き方をどうして教えないのか、考えて見ればものすごく不思議だ。日本語教育では、読解力ばかりを身につけさせようとしているが、文章を書く技術を系統的に教えれば、読解力を引き上げるとともに、思考力をも鍛えることになる。日本語力を徹底的に高めるには、文章を書けるよう指導すればいい。日本語に対する総合的な力は、文章を書くことによって身につく。こういうことが明らかなのに、文章を書くことを教えないので、文章を書けない人がものすごく多い。文章を書くことが、いわば特殊な能力であるかのような感じさえある。
文章を書ける人の多くは、大人になってから、いわば独学で身につけた人が多いのではないだろうか。高校までの学習で多くの人が体験したのは、小学校時代の作文と、中学校・高校時代の読書感想文ぐらいだろう。和歌山県の場合、中学生の夏休みに「少年メッセージ」についての大会があり、この大会に向けて文章を書くことが求められる。この場合も、文章の書き方を学校で習ってから文章を書くということは全くなく、いきなり「書く」ということになる。
そういう経験しかないのに、大学に入るとレポートの提出という課題が出てくる。文章を書けない人は、課題をこなすためにコピー&ペーストに頼ることになる。20メートルしか泳げないのに、いきなり400メートル泳がされるようなものだ。コピー&ペーストに頼る背景には、こういう事情が横たわっている。大学生で真面目な人は、論文・レポートの書き方というような本を買って、結局は独学で書く努力をしているというのが現実だろう。
本当は、小・中・高を通じて新聞記事の書き方、評論や論文の書き方、エッセイの書き方、小説の書き方についての違いを教え、どう書けばいいのかを成長に合わせて教えるべきだと思う。文章を上手に書けるのは、文章を書くルールを身につければ誰でもできることを、きちんと教え、もっと上手な文章を書きたければ、本を読もうということを伝えれば、日本語を好きになる子どもも少しは増えるかもしれない。
文章を書く力については、採点をしない方がいい。一生を通じて、言いたいことを日本語で他人に伝えることができるようになれば、人生が豊かになるのだから、学校教育の中で点数で評価して、文章を書くのは苦手、不得意などという意識を持たせないようにすべきだと思う。
点の打ち方について読んでいたら、自分の点の打ち方の中に、打たなくてもいい点があるのに気がついた。本多勝一さん曰く、「打ってはならない点」もあるということだ。本を読んでいるといろいろな点の打ち方に出会う。すると影響を受ける。今まで打っていなかったところに点を打つようになったりする。変なクセが習慣になってしまうと、なかなか直らない。読みながら自分の不十分さに気がついて、「ええ、そうなのか」と思わされるところにこの本の魅力がある。繰り返し読み返して、反省するために存在している本なのかも知れない。
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ディスカッション
コメント一覧
短大の時、国文専攻で文章の書き方についても多少習いましたが、なかなか難しいです。日本語の奥深さというか、とても複雑なんですが、美しいんですよね。
文章読本のような本は、いろいろ読んできました。それらの本には、面白いものがたくさんあります。こういう関係の本を読むと、自分の書いている文章が気になって、自分の文章を点検したくなり、読むと直したくなるところが出てきます。
文章には、その人なりのリズムというものが出てきます。それに言い回しにクセのようなものも身についてしまいます。文章読本のような関係の本を読むと、自分の文章のクセが気になるので、自己嫌悪に陥りながらも直したいという衝動が起こります。
日本語は美しいですよね。美しい文章を書きたいのであれば、書く対象をリアルに見て、それを記憶に留める努力が必要になると思います。一番良くないのは、紋切り型ですね。新聞に溢れています。「彼は唇をかんだ」とか「ガックリと肩を落とした」とか、「目を丸くした」とか「眉をしかめた」とか。記者がこう書いてしまうのは、やはりきちんとした文章修業をしていないからだと思います。記者になって初めて文章を書けと言われ、四苦八苦しながら文章を書き始めた人も多いと思います。
自分が見て、聞いたことを感じたこと、見たことを文字に置きかえる努力をすれば、自分の文章が立ち現れてくるように思います。