『ロストケア』という映画を見た
休みだったので映画を見ようと思い立って『ロストケア』という映画を見た。長澤まさみと松山ケンイチ、柄本明、藤田弓子などが出演している作品だった。介護士が起こした事件に対し、検事である長澤まさみが事件の真相に迫るというものだった。日本の介護の現実を突きつけていると思える作品だった。
この作品が描いたような事件が起こったら、介護保険の制度はある程度改善されるだろうと思った。この考え方はきわめて不謹慎なものだと自分でも思う。
介護で苦しんでいる人に優しく手を差し伸べる行政にはなっていない。家族間の嘱託殺人は、現実の問題としても存在するし、介護疲れによる殺人も存在する。こういうところに追い込んでいく仕組みが、日本の社会制度の中にはある。お金がなくても介護が安心して受けられる仕組みを求めたい。
息子である松山ケンイチが、市役所に行き、生活保護を申請するシーンがあった。
職員が受付の窓口で「あなたは働けるでしょう」と言って申請を却下する場面だった。ぼくがその現場にいたら、世帯分離をして、お父さんの生活保護申請をし、息子とお父さんのくらしを切り離して、息子の生活を成り立つようにし、父親を保護してもらうという方法を検討するのに、と思って映画を見ていた。
窓口の職員が、息子の状態だけを見て、申請さえさせない状況が描かれていた。このシーンを見ながら、生活保護は、本人の状態だけに着目して受けられるように。そう思った。
高齢者虐待防止法には、養護者への支援が明記されているようです。結局この法律は、介入し、本人を施設送りにすることを、本旨としているみたいなのです。虐待を悪と見て、本人を救済する視点よりは、養護者への支援が優先しているかと。わたくしの勘違いかもしれませんが。市区町村が、本人、養護者に代わり、成年後見制度開始を申し立てることが出来る等、良く練られた法律ではあるのですが。一方、生活保護申請に対して、担当職員はラショニングの義務があるらしいです。これは、希少な資源を市場メカニズムを用いず、これを必要とする人々に供給するための方法のこと。資源を広く薄く支給する。職員は決して悪意から申請を却下するのではないと思います。手続き遅滞等が必要らしいのですね。それを理解していれば、本当に必要ならば、執拗に申請するのも一つの手かもしれません。
血縁関係にある人間関係によって、生じている虐待や尊属殺人は、思っている以上に多いと思われます。子どもにとっては、逃れがたい人間関係の中で起こるものです。どうしようもない父や母などは現実に存在します。
老人に対する虐待は、親の高齢化によって親子の力関係が変わる中で起こっています。根底には貧困や逃れることのできない介護の状態などもありますが、子ども時代の関係が逆転して起こっている場合もあります。
このような状態に対して、法律が介入し、老親の保護を強制的に行うケースはあり得ますし、現実にたくさんの事例があります。児童福祉法もこの考え方を貫いています。これらの問題を放置していると、尊属殺人や尊属傷害致死に至ることが多々あり得ると思います。
家族関係を主にして作られた明治時代の民法は、尊属殺人を重大な罪としていました。しかし、個人の尊厳の尊重を基礎とする日本国憲法下では、1995年までかかりましたが、尊属殺人の規定を削除しました。親子関係を親子の愛情として捉えるのは、多くの問題をはらむと思っています。お互いを縛り付けて苦しくさせることが多いと思います。
生活保護は、インクルーシブ教育と同じように、その人の状態に応じ、その人の人権を守る考え方のみで制度の適用を考える必要があると思います。この考えに立てば、予算の範囲によって、保護に制限をかける考え方とは、根本的に違うということになると思います。
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を無条件で保障するためには、必要な予算を必要に応じて確保することが求められます。生活保護費は、日本国憲法が求める第一級の要請だと思います。もちろん、最低限度については、たえず引き上げることが必要だと思っています。
最低限度を引き上げることによって、貧しくても希望が持てる社会を作り、この力で個人の能力を発展させ、貧困を克服できるような社会へとつなげていきたいと考えます。
生活保護を受ける人には、徹底的に寄り添うことが大事だと思っています。