小説を書き上げた

雑感

小説を書き足したら、最後まで仕上げてみたくなって、一応(了)というところまで書き上げた。原稿用紙に換算すると54枚ということになった。一応完成したものを書いたのは初めてだった。54枚という作品は長いのか、短いのか、自分でもよく分からない。長編でないことははっきりしている。友人から「書き上げたら読ませて」という社交辞令は聞いたことがある。しかし、しばらく置いたままにして、時間があるときに目を通し、手を入れてということにしようと考えている。ただ、自己満足という意識がある。「できた」という満足感が今は心地よい。

書く気にさせてくれた『コーヒーハウス』(荒川昤子著)には感謝したい。この本はカフェにやって来るお客さんと女性の店主との微妙な人間関係を描いている。ぼくも喫茶店が好き、そこで仕事をするのも好きだ。Macを持ち込んで報告書を書き上げたことは何度もある。この本に描かれている人間関係が心地よい。カウンター付きのカフェというのは、ゆっくりと時間をかけると、お店の人とお客さんとの会話が起こり、やがて時間をかけてそれが人間関係へと変化していく。控えめな店主がいるお店の場合、それは、同じような感じになると思われる。

『コーヒーハウス』の店主は、自分からは客の中には踏み込まず、お客さんが次第に心を開いて行くとそれを受け止めるという距離感を持っている。それは上から流れ出てくる水を受け止めるような感じだ。こういうお店があるのであれば、ぜひ行ってみたい。

小説の話を書くと、数少ないFacebookの方のコメントに、少しだけコメントによる交流があった。触発されて書いたコメントもあるが、そこにアップしなかったコメントもできた。
自分に向けたコメントだったので、触発されて書いたコメントをここに書いておこう。

「自分を主人公にして作品を描くと、主人公が狂言回しのようになり、主人公そのものの人物像は鮮明にならない傾向が出る可能性があります。それは、自分について、なかなか自己観察ができないところに原因がありそうです。
今回、自分のことを書いている習作にも、そういう傾向が出てしまいました。自分を主人公にして、その主人公を個性豊かに描くためには、かなり自分を見つめる必要があると思われます。同時に自分の欠点や失敗したことをえぐり出し、それらも含めてさらけ出さないと、陰影のある人物にはならないかなと思います。これはなかなか難しいですね。
書き重ねないとうまく描けないんだろうなと思います。自分をフィクションとして描く場合、あえて人物を自分のまわりの別の人間に置き換えて書いてみるのも面白いかも知れません。それを実行に移すと、自分が選択したものとは違う結果が生まれて、フィクション性が強まるかも知れません」

なんだか、自分でこんなことを書いてみたので、試してみたくなった。


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雑感

Posted by 東芝 弘明