哲学の話。これですっきり

雑感

昨日、ぼくが書いた話は、読んでもよく分からないものになっていた(反省)。ぼくの哲学は唯物論であるところに特徴がある。自然科学が基礎なので、宇宙の誕生から太陽系の成立、地球の歴史の中で、結局は物質が発生し、その物質の発生の過程の中で生物が生まれ、人間が誕生し、ようやく自分たちの手によって自然を利用し、作り替えることさえできる人類の意識というものを生み出した。したがって物質の歴史と意識の歴史を比べると、はるかに物質の歴史の方が長い。物質世界の豊かさと比較すると人間が構築してきた意識の世界というものははるかに小さい。

ぼくのものの見方、考え方の基礎には、この唯物論がある。物質と精神の世界は、結局、物質世界を精神が反映しているというところに基本がある。精神が先にあって、物質ができたのではない。どっちが根源的なのかという考え方も大事だが、物質世界の豊かさが、はるかに精神世界の豊かさを上回るし、物質世界の豊かさを、人類は極め尽くせない。ここの関係性が極めて大事だということだ。このことを知っているだけで、生き方は大きく変わる可能性がある。

物質世界の豊かさは、どんな小さい世界にも無限と永遠があるということを意味する。昨日はいきなり「永遠」という言葉でまとめようとしたが、永遠よりも「無限」と表現した方が分かりやすかった。人間の精神では極め尽くすことのできない物質の世界に分け入って、新たなことを明らかにする。ここに面白さがある。極め尽くすことのできない対象に対して、一歩一歩肉薄するという考え方を身につけていれば、哲学できる土台はあるといえると思う。

もう一つ、大事な視点がある。はるかに長い歴史をもつ物質世界は、物理的な法則のもとで統一されている。人間に意識によって物質世界が統一されているのではなく、客観的に存在している意識の外にある物質が、統一的な法則によって調和が取れている。これがもつ意味は極めて大きい。この物質の統一性が、事実として存在しなかったら、この世界は成り立たない。バランスが崩れるときは、星として破壊されることもある。

この物質の統一性があるからこそ、物質を反映した精神世界にも統一性が生まれるということだ。哲学は、物質の世界の法則性を探究しつつ、人間が生きているありとあらゆるものに対して、法則性を発見しようとする試みでもある。現実の豊かさの中から、命題を導き出し、そこに法則的なものを見いだそうとする営みが、哲学するということでもある。昨日の話は、こういう風に書けば、ある程度伝わったのではないかと思う。

ああ、すっきりした。


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雑感

Posted by 東芝 弘明