国民主権の立場こそ、自分ごとにする道
核兵器禁止条約の原文も探し当てて、読んでみた。前文にヒバクシャという言葉が2回出てくる。この条約の成立にとって被爆者が果たした役割は大きい。非人道的な絶対悪である核兵器をどうやって廃絶するのか。核兵器禁止条約は、そのことを真剣に探究したものだ。ここには人類の崇高な意志が示されている。
1945年8月6日と8月9日に、広島と長崎に落とされた原爆によって命を奪われた人と被爆者となった人。被爆者はビキニの水爆実験による被害を受けて被団協を結成し、原水爆禁止運動を起こし、「もう二度と被爆者を生み出さないように」という願いをもって、自由にならない体をおして全世界に核兵器廃絶を訴え続けてきた。来年は被爆80年。被爆者の方々も高齢になり、核兵器廃絶の運動を次に世代に託すことが強く求められる。ぼくたちは、被爆を体験していないが、被爆者の意志を受け継いで、歴史を語る人間になる必要がある。
被爆者が生きているうちに核兵器廃絶を、全世界で実現するということに対し、自分のできることをしたい。核兵器の廃絶を自分のこととして受け止め、運動に参加することが問われていると思う。広島と長崎は、被爆者と思いを共有し、核兵器の廃絶と核兵器禁止条約の批准を求めている。日本の市町村の1741の団体のうち1740団体が非核平和首長会議に参加し、核兵器禁止条約の批准を求めている。かつらぎ町の中阪町長は、この平和首長会議の一員であり、同時に被爆者が呼びかけた署名──核兵器廃絶と核兵器使用禁止条約の締結を求めた署名に名前を連ねている。今こそ、この立場を具体的に貫いてほしい。首長が、核兵器禁止条約の締結を求める意味は極めて大きい。それは被爆者の一人一人の発言が、全世界を動かしてきたことにつながる。
被団協がノーベル平和賞を受賞した今こそ、強く核兵器廃絶と核兵器禁止条約の批准を強く求めるべきだろう。
金権腐敗の課題でも、マイナンバーの不具合でも、余りにも高い国保税の問題でも、自治体の長は、国の政治に対して、独自の見解をもって向かい合う責任と必要があるとぼくは思っている。国の政治の歪みを自分のこととして捉えて、コミットメントしなければ、政治は変わらない。「企業団体献金は民主主義のコスト」だとか言って、開き直っている石破首相に対して、「一体何を言っているのか。投票権のない企業が献金を行って政治を歪めてきた事件と歴史をどう考えているのか。自分たちが引き起こしてきた裏金問題をどう考えているのか」──こういう問題に対して、意見を率直に述べることが、政治を変える力になる。自分ごとというのは、そういうことだろう。
これと同じ問題として、核兵器禁止条約の課題もある。国民主権の立場こそが、問題を自分ごとにする道である。



