住民との懇談の意味
佐藤淳青森大学教授による議員の研修を受けてから、
「今の時代は何が正しいのか分からないでしょう。だから住民との懇談が必要だと思います」
という趣旨の発言をした講師の先生の言葉が、自分の胸の中に広がっている。
国民主権の政治という枠組みはある。憲法の規定だからら制度もある。最たるものは選挙権だろう。国民の代表である国会議員を直接選ぶ権利は、18歳という年齢に達すれば、全ての国民に与えられる。
しかし。
国民主権を本当の意味で実現するためのは、国民が権利の行使者として、育って生きるという仕組みが問われる。デンマークのように小学校の1年生から、自分たちの要求を実現するための方法を学び、権利行使の仕方を身につけている国民と、日本のように政治が生活に密着したものになっていない国民との差は大きい。
高校生は、学校内で自由に政治集会を開くことはできない。これは1970年代初めの大学における学生運動が、高校生の中にも広がったことを受けて、学内での政治活動が、通達によって禁止されたからだ。この通達は今も厳然として守られており、18歳選挙権が実現したのに廃止されていない。
自治体は今も20歳のつどいを開いているが、18歳成人を本当に正面から祝うためには、大学入試を一発試験で決める今の方法を廃止し、大学受験そのものをなくして、高校の時代の成績で大学に入れるようにするのがいいと思う。
これを実現するためには、大学入試の教育における弊害をさまざまな角度から検討して、本当の意味での教育を作り直すことが必要だろう。そうすれば、18歳の成人式の日に、18歳成人のお祝いを大学受験の心配なしにできるようになる。アメリカには日本のような受験競争がない。大学は真に学ぶ場になっている。日本も大学はそうなりつつあるが、そうであるならば、受験競争はその役割を終えつつあるのではないだろうか。
それと合わせて成人とは何なのか、国民の「権利」とは何なのかを多角的に学べるよう、教育を子どもの時代から組織することが求められている。子どもの権利条約の中には、子どもに最善の利益を与えつつ、子どもの意見を表明する権利、子どもの意見が最大限尊重される権利が謳われている。これを学校教育の基本に据えれば、学校の運営は大きく変化する。子どもは学校運営の当事者になり、学ぶことの主体者に変化して行く。ヨーロッパでは子どもが権利の主体者として、学校運営の当事者になっている。デンマークでは校長先生は、学校運営の管理者、執行者であり、学校の運営方針を決める権限はもっていない。教員と保護者、子どもの代表者が学校運営の方針を決め、校長先生はオブザーバーとしてこの会議に参加している。
強制的な外的圧力からの自由(受験競争が最たるもの)、子どもの好奇心、知的探究心から組み立ってくる自主的な学びの組織。教育の100年の計を、子どもの自主性から組み立て直すことが、主権者を育てる教育になる。
これが実現できていない中、ではどうするのかを考える必要がある。町長にしても議員にしても、物事の判断の多くは、ごく少数の人間の狭い判断に留まっている。住民との意見交換を通じて、課題を浮き彫りにして、何が最良かを明らかにしながら、施策を展開するという形への移行を求め続ける中に、国民主権がある。こんな話をすると、
「でも、住民は無責任な発言をしている。住民というのはそんなものではないですか」
という意見があった。問題は、主権者として権利を行使する際に、必要な情報が極端に制限されている問題がある。つまり、町長や議員と同じような情報が共有されていないところに、かなり大きな課題がある。
同じように情報が共有されるためには、学習などの時間が必要になる。議員は、自主的な学びが必要だが、町当局とおなじような情報の共有のできる位置にいる。ただ、かなり学習をしなければそうはならない。
住民のと対話の中で、情報の共有を大切にして、議論を重ねていけば、住民と議員との懇談も、町当局と住民との懇談も、内容を充実してできるようになる。道のりは遠いが、それはさまざまな問題から、具体的に始めることはできる。
町は庁舎建設やアクアイグニスの誘致、80戸の住宅建設などに取り組んでいる。妙寺地域からスーパーが撤退したことによって、買物をどうするのかという新たな問題も浮上している。笠田の駅前には、大きな空き地ができて、まちづくりをどうしていくのかという楽しい課題も生まれている。かつらぎ町全体で地域公共交通をどう構築していくのか、それも深く問われている。
まちづくりが100年の計であるのであれば、これらの難しい課題に対して、深く縦横に議論を重ねて、最良解を見つけ出すことが大事だと思われる。最適解などはないだろう。たどり着くのは「最良解だと思われる」というレベルに留まる。誰にも未来のことは分からない。人間の判断にはたえず想定しきれないものが含まれており、それは歴史的経過の中でのみ明らかになる。人間の判断というものは、そういうものだということを知った上で、答えを見いだすべきだろう。よかれと思って判断したことが、未来において負の遺産になることは多々ある。科学技術はこれを繰り返している。こういう歴史認識をもてば、謙虚にならざるを得ない。
阪神淡路大震災から30年。神戸の街の復興は実現したのかを問うと、住民が置き去りにされたショックドクトリンだったことが浮き上がってくる。長田区の商店街は再生されず、活気は今も戻っていない。再生計画に住民の不存在があった。住民は結局排除された。神戸全体の復興は、結局、住民不在の街の再興であり、住民の暮らしが排除された復興だった。再生計画における住民の不存在。これが決定的な失われた環だった。いったい行政は何をしていたのか。神戸の経験は、かつらぎ町にも深く課題を投げかけている。
もっと議員は住民の中に入り、住民との懇談を通じて、主権者である住民の意見をふまえた政策づくりに取り組む必要がある。それをしないと、住民本位の街はできない。今、町が打ち出している方針の数々も、住民と共有し、ともに考えて意見を届けることをしないと国民主権は貫けない。講師の先生の話は、このことを教えてくれた。議員の課題でいえば、町当局の取っている方針に対しても、熟議が決定的に不足している。議員間の討議が組織されるよう努力したい。



