個人的なことは政治的なこと
インターネットで宿を検索していると出発が遅れた。林間田園都市駅の前の道に車を走らせると、街宣している人々が横に並んでいた。手を振ると反応を返し、「ここに来たの?」という合図が返ってきた。「そうです」と合図を送った。言葉が聞こえなくても意味は通じる。
ぼくが、マイクを握らせてもらったのは最後だった。
失われた30年という言葉を知っていますか。30年前、国民の平均収入は550万円でした。今は430万円。120万円も少なくなっています。月に10万円も収入が少ない。失われた30年にはいろいろな指標がありますが、国民のくらしが貧しくなった。これが国民にとっての失われた30年でした。
今日はここから話を切り出した。
目の前に黄土色のマンションが建っており、このマンションの背景は山と青い空だった。青い空は気持ちがいい。このまま春に向かえば良いのにと思いつつも、来週は寒くなるよねという思いを頭に浮かべ、他の人の演説を聞いていた。みんな、この日のために原稿を書いて、それを見ながら訴えている。
「きちんと準備されているよね。たいしたもんだなあ」
と思いながら、今日は失われた30年で話をしよう、そう心に言い聞かせて、携帯で検索した。NHKの報道によると今年1月から4月までに価格を引き上げる品目は6000点もあることが書かれていた。これを訴えの中に取り入れよう。そう考えてマイクを握った。
訴えの中で、「個人的なことは政治的なこと」という言葉を紹介した。アメリカのフェミニズム運動の中で生まれた言葉だ。日曜劇場のドラマで紹介されてから、ずっと心に残っている言葉だ。女性が社会的に抑圧され差別されている現状の中から生まれた言葉だが、この言葉は、もっと広い意味で使われ始めていることを感じる。
「私たちが政治のことを忘れても、政治は私たちのことを忘れません」という言葉を「個人的なことは政治的なこと」という言葉につなげた。
主権者が立ち上がれば政治は変わる。その意識を広く届けたい。



