しゃべっているのは自分ではない?
赤旗の配達の後でセブンイレブンに立ち寄った。広い駐車場にあるのは、斜めになった外灯とぼくの車のみ。他の客は見当たらなかった。店内に入って、左手の奥まで行き、水とウェルチを手に持って、レジのカウンターに行く。そこでコーヒーのLを注文した。決済はペイペイでお願いした。
自宅に戻り、2階に上がって準備をし始めたのは6時10分ぐらいだった。セブンイレブンのコーヒーは、机の右端に置く。Macにかからないよう注意を払う。かなり前の正月にそういうことがあった。コーヒーを置く時にはこのときのことが、頭の隅にある。
志位さんの中間発言を読み直して、書き込みなどをして7時13分に作業を終えた。
会議が始まり、人前に立って話す機会が今日もあった。前に出て、演台に資料を置いて人の顔を見渡す。
本番が始まると、準備していたことと、かなり違うことをしゃべり始めた。
「おいおい、予定と違わないか」
という言葉が浮かんだ。文章を書くときもそうだが、自分の頭で描いていることと、現実に書いていること、しゃべっていることがズレる。脳が勝手に暴走しているような感じ? なのか?
話すべきテーマを頭に浮かべて、話を展開しているが、しゃべっているのはぼくではないような感覚がある。頭の中は白くて何もない。何もない感じなのにしゃべっている。しゃべりながら文章を綴っているような感じだ。予定していることをきちんとしゃべるためには、箇条書きがやはりいいのかも知れない。しゃべりながらそんなことを考えた。
議会の質疑などの場合は、予算書に走り書きする手書きのメモが頼りになる。手書きのメモは事前準備のときに書いておく。これさえあれば、細かい点を理解して論を展開できる。原稿1割、アドリブ9割というような状況なのかも知れない。
人間は、目的意識をもって、スキルを磨けば、多くのことが身につく。うまくなりたい、道を究めたい。そういう思いをしっかりもって、努力を重ねれば、人間の能力はいくつになっても伸びていく。50の手習いでも、60の手習いでも何でもいい。年齢などはあまり関係がない。そう思う。
夕方、報告書を作成せよという達しがあったので、文章を書いてmailした。さらにメールを見ると、原稿が届いているのを発見した。
「20日までに記事に手を入れて下さい」
という要請が添えられていた。これにも手を入れた。










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