謙虚さに至る道
朝は、かつらぎ町と町商工会主催の合同入社式に参加した。記念講演は、テレビ和歌山の社長である大越氏のよる「『石の上にも3年』を考える」というものだった。謙虚な姿勢の大切さを語るものだった。
「謙虚でありたい」
ぼくはずっとそう考えてきた。しかし、謙虚には、なかなかなれない。どうすれば謙虚な人間になることができるのか。これはぼくにとって永遠のテーマであるような気がしている。
「謙虚になれないので、謙虚さに憧れる」
ということなんだろうと思う。
謙虚な姿勢とはどういうものかを聞かせてもらっても謙虚にはなれない。講演を聞きながら、この前読んだ般若心経のことを考えていた。自分が正しいと思っていることを、相対化し、正しいと信じている前提条件が変われば「正しくなくなる」ということを知れば、自分の思考を相対化することができる。自分の思考を相対化することが、謙虚に繋がる道の一つだと思う。
傲慢にならないで、学ぶ姿勢を生き方に貫くのも大切だ。この姿勢の方は、自分の到達点に満足しないで、さらなる高みを目指して努力することによって培われると思っている。それは、「不断に努力し実践する」ことを生き方の中心に据えるということだろう。こういう生き方をしている人は、たくさん存在する。「不断に努力し実践する」人は、努力によって培われていく自分のスキルを楽しんでいる人だと思う。金メダルをとるとか、何ちゃら賞をとるとかが目標ではなくて、自分を高みに連れて行ってくれるプロセスを楽しんでいるということだ。
学ぶ姿勢を生き方の中心に据えている人は、哲学的な生き方を選んでいると言っていい。自分を高みに登らせる努力によって、自分の中に誇りはあるけれど、その人が見ているのは、未来であって、現状への満足ではない。
努力すべき道はいくらでもある。自分がとことん打ち込んで努力したいことを見つけることができれば、「不断に努力し実践する」道を駆け上ることはできると思われる。
せっかく一度きりの人生を手に入れたのだから、自分自身を成長させることを通じて、人生を豊かにする道を見いだすべきだろう。ぼくの場合、一つは「文章を書くこと」だと思っている。この道を極める努力には限界がない。この道をとことん探究する中で身につけられることは多い。この道を歩くことによる喜びは深いと思っている。
生きる姿勢が謙虚になれば、見えてくることは多いだろう。しかし、それだけで徹底的に謙虚になれるとは思わない。本当の意味で謙虚に生きるためには、自分の積み重ねてきた生き方、考え方を信じつつも、それを相対化できるものの見方考え方がどうしても必要だろう。生き方における謙虚さと、ものの見方考え方における、思考の相対化による謙虚さ。この2つを身につけることができれば、謙虚さを身につけて生きることができるかも知れない。
それが分かったのであれば、実践してみよう。









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