反省と恒久平和

雑感

最近書いている文章が硬い。そう思い始めた。頭の中で考えたことを吐き出すだけだからそうなっているのだと思う。
と言いつつ、今日も頭の中を吐き出しておく。

第二次世界大戦で大日本帝国が、大敗北をしたことをぼくは心底よかったと思っている。もちろん、ぼくたちは戦後生まれの世代で、あの当時の戦争の具体的な姿を知らない。しかし、戦争を歴史的な事実としてつかんできた中で、歴史から何を学ぶのかと言われると、その結論の一つは、あの戦争に日本が敗北して、本当によかったということだ。

日本の侵略戦争が遂行されたままであれば、中国、台湾、朝鮮半島、南樺太まで日本の領土だったはずだ。あの戦争に日本が大きく勝利していた場合は、ベトナム辺りの国々まで日本の植民地になっていただろう。
朝鮮半島の支配の仕方でいえば、大日本帝国憲法の支配下には置かれず、軍政による支配となっていて、治安維持法が適用されていた。こんな国は独立しているとは言いがたい。

国民に主権はなく天皇に主権があり、その天皇は現人神と言われる一方、国民は民草と言われ、女性はほとんど何の権利もなかった。戦争に勝っていたら、こういう時代が1945年以降も続いていただろう。国民主権を手に入れるためのたたかいには、多くの犠牲が伴っただろう。国民主権を手に入れるためには、韓国のような民主化のたたかいが必要だったかも知れない。

民主主義がなく、国民主権もない国が、外国に対して侵略を繰り返し、どんどん軍国主義化していった国。これが1945年9月2日までの日本の姿だった。
大日本帝国という名で自分の国を呼んでいた。この名は1889年に大日本帝国憲法が発布されたことによって、正式に採用された国の名前だ。「大」とは何なんだろう。自分の国を大きく見せたかったのだろうか。帝国主義という言葉を調べると、「植民地の獲得や市場の独占をめざして海外発展をはかろうとする 政治・経済体制と政策」とある。これは、独裁国家である北朝鮮よりも質(たち)が悪いだろう。北朝鮮は軍事独裁国家だが、侵略の意図をもって諸外国に進出を企てている国ではない。朝鮮戦争は継続しているが、それはもともと一つの国だったことをめぐる戦争なので、かなり性格が違う。

大日本帝国の下で戦略戦争にかり出された兵隊は、大日本帝国主義の野望の下で犠牲を強いられた人たちだった。戦後の日本政府は、大日本帝国の誤った戦争によって、命を失った人々に対し、深くお詫びをしなければならない。戦死者は、戦後の平和の礎になったのではない。戦死した日本兵は、誤った戦争にかり出された犠牲者であり、その戦争を遂行する中で、加害者にもなった人々だった。加害者になって多くの外国人を殺害した兵士の罪は、その人の行為から切り離せない。国がその罪を免罪しても、人間としての罪は消えない。

恒久平和は、日本帝国主義の敗北によって生み出された。侵略し続けた国だからこそ、交戦権を放棄せざるを得なかったし、軍隊を解散せざるを得なかった。ここに戦後の原点がある。
あなた方の犠牲は、日本政府の誤った戦争によって引き起こされたものです。私たちはこの歴史を忘れることはできない。こういう反省の上に立って、
「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから」
日本政府は、こういう言葉で兵士を追悼してほしい。反省の上に恒久平和がある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明