天野の里めぐり
「しんぶん赤旗」の「わが街ふるさと」というコーナーの記事を依頼されているので、天野に取材に行った。世界遺産に登録されているのに、町石道さえ歩いていないのでは、生きた記事が書けない、そう思ったので、半日かけて町石道や天野の里を歩いて回った。
町石道については、「新・紀州語り部の旅」というサイトで、以下のように簡潔に記されている。
高野山町石道は高野七口といわれる高野山の登山道七本のうち、弘法大師空海によって高野山の開創直後に設けられた参詣道で、紀ノ川流域の慈尊院(海抜94m)から高野山壇上伽藍(同815m)を経て高野山奥の院弘法大師御廟に至る高野山への表参道です。
町石道が開かれた当初、弘法大師は慈尊院から高野山までの道沿い一町約109mごとに木製の五輪卒塔婆を建立したとされます。文永3年(1266)以降は、鎌倉幕府の有力御家人、安達泰盛らの尽力で朝廷、貴族、武士などの広範な寄進により朽ちた卒塔婆に代わって石造の五輪卒塔婆が建立され、ほぼ完全な形で今日に遺されています。
町石にはそれぞれ密教の仏尊を示す梵字と高野山に至る残りの町数、そして寄進者の願文が刻んであり、巡礼者や僧侶はこの卒塔婆に礼拝をしながら、全長約23km(うち高野山内4km)、標高差700mの道程を一歩一歩、山上に導かれて行ったのです。
町石である卒塔婆は、1町(約109メートル)ごとに立てられていたようで、現在もかなりのものが、当時のまま残っている。高野山へいたる道は、「紀伊山地の霊場と参詣道」という名が表すように信仰と祈りの道だったような感じがする。
山には神が宿り、その神に守られて高野山がある。空海は、丹生都比売神社に守られながら、山に根本道場を開いたという話は、日本人の心を見るようで楽しい。
町石道の卒塔婆
道にさしてくる光が楽しい
ぼくは、天野の丹生都比売神社の駐車場に車を止めて、六本杉めざして歩いて行った。トンネルのようになった林の中を歩くと、木々の間から日の光が漏れ、行く先を少しずつ照らしている。何度か写真を撮ってみるが、自分の目で見た感じに写真が撮れない。
岩肌が露出して滑りやすくなっているところや枯れ葉が積もっているところが、くり返し現れる道は、歩いていていると気持ちが静まっていく。
光がささない暗い道も
六本杉は合流点なので広くなっている
「都会の疲れを森で癒そう
人の生まれた森に還ろう」
ぼくは、花園村の山々に対して、この言葉をつくって、議会で語ったことがある。今日は、山の中を歩いているとこの言葉がよみがえってきた。
晴れた日でも、町石道は暗い。木の間から指してくる光が、葉にあたり輝く。カーブした道の先には、黄色く色づいた葉が光によって透けているように見える。
今日歩いた道は、志賀三谷線を三谷に向いて歩き、六本杉をめざす道だった。町石道は、六本杉から二ツ鳥居までの区間。二ツ鳥居から八町坂を下り丹生都比売神社に戻るこのコースは、パンフレットで見ると1時間20分のコースだと書いてある。
町石道を歩いている途中、若い男子1人に追い越された。二ツ鳥居のところでは、休憩していた夫婦に出会った。この方々は慈尊院の方に降りて行かれた。
八町坂を下るときに、今度は女性の3人連れの方々とすれ違った。
12月2日、数多くの団体客が訪れるという時期ではないこの季節に、世界遺産の道で、数人の方々とすれ違い、一言二言言葉を交わしたのも印象に残る出来事だった。
二ツ鳥居のところから見える天野の里
歩いてみると、天野の里には、さまざまな歴史的な遺跡がたくさんある。道には、標識や案内板が設置されており、歩きながら一つ一つ訪ねてみるのも、趣があって楽しい。
柿が見せる晩秋の姿
神社の駐車場に戻ってきたので、せっかくだからと思い立って、丹生都比売神社に参詣することにした。
境内には、車イスに乗った年輩の女性をもう1人の女性が押し、その横を年配の男の人が歩いていた。3人は親子のように見えた。参詣のお客さんは、ぼくとこの1組の方々だった。空気が澄んでおり、まだ紅葉は綺麗だった。
本殿の前に立つと、二礼二拍手一礼とあった。
賽銭を入れ、鈴を鳴らし、この儀式をして戻りかけると、神主さんと宮司さんが、社務所から出てこられた。
「もしや東芝さんでは?」
笑顔であいさつされ、部屋に上がらせてもらい、コーヒーをよばれることになった。宮司の丹生晃市さんは、優しい笑顔の穏やかな感じの人だった。
丹生都比売神社の歴史は、1700年、高野山に空海が真言宗を開いてから1200年。丹生都比売神社の歴史は、高野山の歴史より500年も長い。
「神道と仏教の融合(習合)はここからはじまった」という丹生さんの話は、非常に興味深いものだった。
弘法大師を受け入れた丹生都比売神社と神道と真言宗を習合させていった弘法大師のおだやかで柔軟な心は、そのまま、天野の地に残り町石道にその形を残している。
話を聞きながら、そんな感想が浮かんできた。
世界遺産の登録のときに、この「神道と仏教の習合」がユニークだと評価され、世界的にも稀だとされ、その価値が見いだされたのだという話も興味深かった。
町石道を歩いて、丹生都比売神社の宮司さんの話を聞き、日本人とは何か、優しい心根とはどういうものか、考えるのは、大事なことなのかも知れないと思った。
神社の太鼓橋
丹生都比売神社本殿
帰り道、天野の入り口付近にある喫茶「うらら」にも立ち寄った。
この喫茶店のマスターは、100か所近く住む場所を探し、この天野の場所を選んだのだという。造成は、自分でユンボを運転しておこなったとも言っていた。
トンネルを越え、天野に入ってくると視界が開ける。盆地のような地形をしているので、紀ノ川から離れた高台に、天に近いところに人の住む集落があるという感じのところだ。この地に足を踏み入れ、歩いて景色を見ていると、「こんなところに住んでみたい」──そんな気持ちにさせてくれる魅力が天野にはある。
実際、この景色にひかれて移り住んできた人が何人もいる。
うららから見た天野の風景








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